奄美 海風blog

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黒糖をかじって、奄美の糖業史を見直す

2005年03月04日 | 歴史 民俗
050304-kokuto数日前、人気の工場直売の黒糖を買ってきました。

一見したところのたたずまいは、「直売」もしているようには見えにくいところが奄美らしいのかもしれない。

左上が500g入り、左は250g。たしかgをそのまま¥にすればよい値段だったおもう。
二つの違いを尋ねたら、ちぎる(カット)時の、温度と、形(大きさ)の違いらしかった。

袋のつくりも違う。食感も味もやや違う。左がやわらかい。「本当に大地の恵み、ちゅう味」がする。つぶの大きさ約1~2センチ角。

クルザタ(黒砂糖)はガブ(かたまり)なのに、なぜ「砂」唐なのか、訊こうと思ったがやめた。
「あげー、そうじゃねぇ、なんでかい、小学生の時から考えておけばよかったねぇ、ハハハ」といって笑われると思ったから。(笑)

左下は、おまけにもらった、およそ400g。500gの80パーセントだから、おまけとしては「どっきん」である。量が多いという意味。

どっきんのきんは斤のことかも知れない、とその時思った。
<ここから脱線>
「斤」は、目方、重さの単位で尺貫法では一斤=600g。
奄美の歴史の本には、黒糖の目方の単位でよくでてくる。
黒いダイヤともよばれた黒糖で、昔、苦労したのは奄美の島々だけではない。

砂糖の世界史』岩波ジュニア新書
甘さと権力』―砂糖が語る近代史

ところが、奄美の藩政期(江戸時代)の糖業史は表面上のものが多い。裏面史は、ますます資料が少ない。
貧農史観を見直す』はだいぶ以前、名瀬の書店にあった。

「奄美の人はみな、砂糖を舐めただけで鞭打ち」史観は単純すぎる。

名瀬市誌第3巻民俗編では、
「砂糖の利用」の節で、行事用菓子、日常食用菓子にわけ、
じょうひ餅、かん、かさもち
つきがん、ざしまめ、椎の実の餅、ちばさ(つわぶき)の菓子、里芋のでんがくなど計21種類の菓子をを挙げ、その作り方などを詳述している。
明治14年生の人の記憶で、これらの菓子は、その両親からも昔からあったと聞かされたという。

このような高度な技術を要する、美味しい菓子が短期間にでき、生活に溶け込んむとは思えない、と
民俗史的視点から、単純な奄美糖業史の理解に疑問を呈している。