奄美 海風blog

写真。植物や本 ネットで映画感想。相撲見てツイート
04年4月~14年11月ブログ人
トップへはタイトルをクリック

里山、涙の引退会見。千秋楽放送席はどう伝えたか、書き起こし 北の富士さん、舞の海さん

2018年11月26日 | 大相撲
 
TV画面では、千秋楽、幕内7番目の取り組が始まります。
貴ノ岩と対戦対する遠藤に、前の一番で阿炎に勝った千代翔馬が力水を付け、
花道に引き上げていきます。
えー、今日、この幕内の取り組みが始まる前、え、午後2時から、引退の会見が開かれました。
元幕の内の里山の引退会見が開かれました。
その映像をご覧いただきたいと思います。
えぇ、今日をもちまして現役を引退することとなりました。
え、現役中はたくさんの皆様に応援し、応援していただき、そして支えていただきまして
誠にありがとうございます。
 
音声はここまで
 
三瓶 宏志(さんべ こうし 福島県出身)アナ
えー思い出に残る相撲として、十両優勝を決めた平成19年の春場所、豪栄道に千秋楽、肩透かしで勝って十両優勝を決めましたが、ちょうど直前にお父さんが亡くなったということもあって
、そしてその優勝で新入幕を決めたということもあって、その一番を思い出の一番に、それから、えー、この場所の13日目でしたかね、最後、琴鎌谷を下手投げで破った最後の相撲も思い出の一番に挙げました。
 
北の富士さん。
 
はい。
 
もう最後は、もう涙の会見になったわけですが、・・
ん、ああ・、
小柄で、ですねえ。
まあ、ねえ、小柄で、あの、相当苦しい、う~ん相撲の連続だったと思いますよ。
ええ。
まあ、まあ、万感胸に迫るものがあるんでしょうね。
はい、・・・あのう、息子の瑛汰君が5歳で相撲を始めてですね、
ああ、そうですか。
はい。
奥様がね、なかなかねっ、
そうですね、日大の女子相撲をやってらして、
そ、奥さんのほうが、なんか里山よっか強そうだねっ。笑
あ、いえいえ・・・笑
うっふふふ。
あの、息子の瑛汰君に、あとは任せてと、
ああ、そうですか、
ええ、
拡大します。
北の富士さんが、ああよかった、と言った所でTVは、この画像に変わります。北の富士さんの笑顔がいいですね。
 
ああ、よかった。
と言ってもらえたということでぇ。
ううん。
ええ、里山の引退、残念ですが、あのう、年寄・佐ノ山を襲名して
ええ、後進の指導にあたると言うことです。
ま、今ね、里山ぁ、ぁ、に続く・・、
はい。
小兵力士がね、
そうですね。
ま、出てきてますんでねっ、
はい。
やっぱり、小さいのが頑張ると面白いですよっ。
そうですよね。
うん。
えー、向こう正面の舞の海さんも、里山には、いろんな思いがあるんじゃないでしょうか?
はい、そうですね、あのぉ、ほんっとにもう、ここまでよくやったと思いますねぇ。
はい。
体はもうボロボロだと思います。
ええ。
下にもぐって、相手の腋の下に首を入れてですね、
はい
相当、首も極められたと思うんですよねぇ。
大学(日本大学)の後輩でもありますし、
はい
里山の、あの高校(鹿児島商業)時代の先生が、
ええ。
舞の海さんの同級生、
そうなんですよ。
きく先生ですよね
はい
えー、そういったこともあって、ずっと目をかけていらしゃったんじゃないでしょうかね。
はい、あのう、たまに一緒にお酒を飲んだり、
はい、
したこともありますけどもねえ。
ううん。
とても、こう、律儀な、
はい、
あのう、人ですねえ。
そうですねえ。
ええ。
えー九州出身、鹿児島出身、ということで、この九州で、やり切ろうと、
やめる時は九州でという思いで、え、取ってきたという、ことで、
30年間の相撲人生、現役人生に、終止符を打ちました。
さあ、土俵は、貴ノ岩と遠藤です。
==以下略
画面は、貴ノ岩と遠藤
制限時間いっぱい、両者、最後の塩をつかんで、
汗をぬぐったタオルを呼び出しに戻し、
こちらを向き直った場面に切り替わりました。
 
 
関連記事 このブログ 里山引退会見 動画&書き起こし

里山引退会見 動画&書き起こし

2018年11月26日 | 大相撲
 
2018 11 25里山引退会見
 
えぇ、本日はお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。
え、今日をもちまして現役を引退することとなりました。
え、現役中はたくさんの皆様に応援し、応援していただき、そして支えていただきまして
誠にありがとうございます。
今後、年寄・佐ノ山として後進の指導にあた、当たっていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
 
え~、それではまず、え~代表としていくつか質問させていただきます。
え~改めましてNHKの。。と申します。よろしくお願いいたします。
およそ15年の土俵生活ほんとにお疲れ様でした。
今、改めて区切りをつけられて、どんなお気持ちでいらっしゃいますか?
 
う~んま、ほんとに、・・やり切ったという、・・気持ちです、・・はい。
 
あの、今場所も3連敗から4連勝で、最後も本当に里山らしい相撲で、のあとでの、このう、
引退ということで、たいへん驚きましたけれども、・・この今の、ま、引退という決断に至った
経緯を教えていただきますか?
 
えぇ、・・まぁ、入門した時から・・え~、・・・現役生活最後は、ボロボロになって
、土俵上に立てないぐらい、・・・ぐらいやり切って・・終わると決めていましたが、
ま、その気持ちもだんだん変わって、・きて、・・・最後は、・ご当所でもある九州場所で、・・・・自分の相撲を、最後まで、・・取り切ろうと、決心いたしました。・・・・。
 
ボロボロになるまで、という言葉もありました、あのう、ほんとに首の怪我や、いろんな、こう、怪我で苦しまれましたけれども、改めてご自身の、え~力士人生を振り返って、どんなふうに
おもいますか?
 
・・まぁ、7歳から、・・・え~。ま。37歳、・・まで、ま、・・・相撲人生、・・
もう、体の、ま、一部、生活の一部のかんじで、毎日がそのお、その相撲とたつずさわるってのが、当た前の生活だったので、・・うん、・・まぁ、・・引退っていうのが、ちょっ、・まだ実感がわ、わきませんが、・・・ま・・ふり帰ってみると、本当に、も、幸せな、幸せな相撲人生でした。はい。
 
当初はボロボロになるまでと、思っていたけれども、少しまた気持ちが変わったという表現がありましたが、どういったところから、その気持ちの変化が、いつごろから出てきたんでしょうか?
 
ま、え~、・・ま、今回、最後まで、からだ、体に何もずに付けずに、ほんとに大きな怪我なく、・・・相撲を取れてることに感謝して、・・・最後は、いじめ抜いてほんとは終わろうかなって思ったんですけど、自分の体をですねっ、・・・でにやっぱり、・・いろいろ感謝するという気持ちを持つようになると、・・やっぱり、・・・ま、怪我無く、・自分の相撲スタイルを貫き、・・通すためには、・・ボロボロになるまで、・・・・・ま、・・・ボロボロ、なるまで。できないなあと思いました。・・・。
 
なにか、そのお、里山という、相撲スタイルをきちんと表現できる、・準備ができたところを、
 
はい、
 
ひとつ、区切りにしたい、という、そういう気持ちだったんですか?
 
そうです。・・・もう、最後の最後まで自分の相撲を取り切ろうと。・・・決心しました。
 
え~、その長い大相撲の、え~およそ15年の中で、なにか、特に思い出に残っている、取り組みというものはあるでしょうか?
・・・ま、十両優勝したときの、あのぅ、大関豪栄道関と、優勝決定戦でした、一番と、・・・え~、今場所最後の相撲、・・が・・一番印象に残っています。
 
え~平成19年の春場所、の、え、ちょうど新入幕の。。その時の豪栄道戦、肩透かしの相撲だっと思いますけれども、
 
はい。
 
それぞれ、あのう、思い出に残っている理由を聞かせていただけますか?
 
 
・・・・・。感極まり涙がとまらず、うつむく。大勢のカメラのフラッシュがまたたく。
顔をあげ、なにか口ごもるがフラッシュ音で聞き取れない。
 
ちょうど、その大阪場所のときに、・・・・・あの、・・父・・・父が・・あのう、ま、相撲が好きだった父が他界して、・・・・すぐの場所で、・・・それで優勝と、新入幕も決めたんで、
・・・・それが、・・・そういうことで・・・印象に残っています。
 
ハンカチを取り出す
 
最後の一番は、・・ほんとに自分の・・今まで、・・・積み重ねてきた、・・相撲が、出た一番でした。
 
 
今も、そおうして、涙が。。当時、それだけ、あのう、お父様の存在は大きかったと思いますけれども、
 
はい、
 
。。的その、家族の皆さんとの支えという部分はどうだったんでしょうか?

ま、常に、・・、ん、自分の息子も最近相撲を始めて、・・はい、えー、あとは任せてっつ・・はい、言ってくれたんで、・・ま、とても心強かったです、はい。
 
息子さんが、
 
はい。
あとは任せてって、
はい。
 
言ったのは?
 
はい、・・ま、自分の夢を託す、・託したらだめなんですけど、・・息子に頑張ってもらいたいと思います、はい。
それは、息子さんに引退を伝えたときに、そう言われたんですか?
 
はい。・そうですはい。
 
以下略
 
=========
 
関連記事 このぶろぐ