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『薩摩民衆支配の構造』―現代民衆意識の基層を探る

2009年11月27日 | 本と雑誌

091127booksatsuma 薩摩民衆支配の構造―現代民衆意識の基層を探る (ペーパーバック)
中村 明蔵 (著)

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Amazon 商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
薩摩の民衆は常に外来武士団の過酷な支配のもとにあった。士族の政治支配は明治期、太平洋戦争を経て今日も残る。近世・近代の薩摩民衆支配の特異な実態と、現代の薩摩人の屈折した依存体質を徹底解剖。〈ソフトカバー〉

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日本の古代史が専門で、北九州市生まれの著者が、近世・近代の薩摩の独特な民衆支配の構造を分析しながら、現代の生きた民衆の意識をさぐる。

巨視的に見ると鹿児島の民衆もまた、移入者に翻弄された。
古代における肥後や豊前からの集団移住。
それに島津軍団の入国、島津氏が戦国大名から戦国大名、さらにと存続したことは全国でもまれな例である(P178)
シラス台地の低い土地生産性

近世薩摩藩は、
全国の5倍の武士人口比率
113箇所の外城(とじょう)
これは広辞苑に長文で載るほど独特

外城(とじょう)=広辞苑=①外城(がいじょう)に同じ
②戦国期から江戸時代にかけて、大名島津氏が設けた在地支配のしくみ。
各外城は家中の外城主・地頭の支配下に置かれ外城衆が配属された。
外城衆は外城の麓(ふもと)集落に居住し、知行・扶持が少ないため農耕を営んで自活し、地方(じかた)の役人として農民を支配した。

郷と郷士(ごうし) google

独特な農民支配の仕組み「門割り制度」

【門割】広辞苑=かどわり 鹿児島藩の地割制度。四、五家部(かぶ)(戸)を以って作る門(かど)を単位として耕地を割り当て、一定期間の後に耕地の割り換えを行なうこと。

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門の成員に貢納の連帯責任を負わせた。
奄美諸島や本琉球にも準用されたが、藩本土とは、かなり異なる。

郷中教育

郷中(ごじゅう)=薩摩藩の武士階級子弟の教育法。
似たものに会津藩の「什」がある。
教育組織としての機能を発揮するようになるのは江戸時代中期以後 wiki

特異な「一向宗禁制」

徹底した「廃仏毀釈」

儒教倫理の徹底
自給自足の閉鎖社会
八公二民の高税率、夫役
強制移住「人配(にんべ)」

こうした薩摩の民衆支配の構造の分析を通じて
著者は、そこに現代の鹿児島の人たちの意識の基層を探る。

目次を見て奄美が抜けていたので読むのをやめようかと思ったのですが、それは狭い了見だったことに気づいた。

そこで分析されている鹿児島の後進性(悪いとは限らない)や特異性(悪いとは限らない)は、奄美にも共通するものがある。

著者はあとがきで奄美諸島をも包括できなかったことに心残りとして、その理由として奄美諸島の歴史と本土のそれとの懸隔をあげて、知人に「奄美編」の成稿をお願いしているとのべている。

本書のような試みは奄美諸島においてはこれまでになかったのではないか。それは奄美諸島においてこそ必要と思われる。徹底解剖が待ち望まれてもいる。島民すべてが薩摩に苦しめられた善良で均一な民衆であったわけではないだろう。この本の刊行から9年がたっている。


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