今頃の季節を「赤い蘇鉄(そてつ)の実も熟れる頃」(島育ち 田端義夫)というのでしょうか。
いい歌ですね、「島育ち」 なに?知らない。あー、そーですか~。
「♪ ”くるしゅ”黒髪」と歌っているのは”黒潮暖流(日本海流)”のことですね。ソテツの赤との対比が妙です。「女身(うなぐみの)愛(かな)しゃ」とつづきます。昔のことでしょうか。
追記
”かなし”を国語辞典で調べると、いろいろな意味が。
[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》
[二](古くは「愛し」と書かれた)
(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》
(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。
(3)見事だ。感心するほど立派だ。
(4)残念だ。くやしい。
(5)貧苦がつらい。
↑ 田端義夫 「島育ち」 google より
===以下はしろうとの見解です。歌を聞きながらお読みください。
赤いと言っているのは蘇鉄ではなくて、実のことなのですが、
実は赤くない時期(青い 緑)があることがわかった。
実は、赤くなっても熟れているわけではない状態(中が空洞で、耳垢のようなものがある)があることもわかった。
しかし、それらは非常に成長の時期に個体差があることもわかった。
その前に、そもそも蘇鉄は裸子植物で、厳密には実(果実)ではなく、種子である。方言ではナリという。ナリは蘇鉄に対してだけ言い実一般を意味しない)
植物は、シダ植物→裸子植物→被子植物と進化したが、上の写真は大胞子を付ける葉=大胞子葉(のちにメシベに進化)で、シダ植物から裸子植物への進化の過程がよくわかる。また花は、生殖のために葉が寄り集まったものであることも示している。
生物学的には、果実とは被子植物の、その中に種子を含む構造のことである。被子植物の種子は子房の中で成熟するから、子房が果実になる部分であり、すべての被子植物の種子は果実に入っている。
ウィキペディア 果実より
裸子植物とは、種子植物のうち、胚珠がむきだしになっているものを指し、果実になる部分である子房をもたない。なので、裸子植物である蘇鉄は、果実を形成しない。