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大相撲7月場所(2018) 10日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)

2018年07月17日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 10日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月 西前16 ***O*O***O   3勝7敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO****OOO*   5勝5敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OOOO*OOO  7勝3敗
 
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-*--*-O   2勝3敗
 
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

7月15日放送 第26回「西郷(せご)どん」の「西郷、京へ」 視聴率は12.2%

2018年07月17日 | 歴史 民俗

7月15日放送 
第26回「西郷(せご)どん」の「西郷、京へ」
の平均視聴率は12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

前週 特番は11.8%

25回、沖永良部編 12.7%

==写真の説明

名古屋場所も中日になり奄美大島では、はや稲刈りが行われている。
台風シーズン前に刈り取るのだ。

ドラマは半年が過ぎ、今回も島編を受ける展開で、

一言でいうと
5年にわたる島暮らしで、西郷が人間的に、そして学問的にいかに成長したか、
その姿の京でのお披露目、といったところ。

それと、
後半の「革命」にむけての重要な英傑である勝海舟(遠藤憲一)、坂本龍馬(小栗旬)、
それに脇役の目玉になりそうな、公家のくせにビンボーそうな岩倉具視(笑福亭鶴瓶)に西郷を思い出してもらいながら・・
ま、これからの予告編みたいだった。

==写真2の説明

第25回で
西郷が鹿児島へ帰るのを「革命」の旗を振って見送る川口 雪篷の姿から
三色旗トリコロールをはためかせ、フランス革命で民衆を導く自由の女神の写真を思い出した。(La Liberté guidant le peuple正確には民衆を導く自由1830年フランス7月革命 ドラクロワ 川口 雪篷は沖永良部島で西郷にナポレオンデンを餞別として贈っている)
教科書の写真や挿絵は、文字列とは違い、つよく印象に残るものだ。写真はカラーではなかった。

高校卒業後「フランス革命と明治維新」とかいう本を読んで、歴史の面白さに目覚めたような記憶がある。
そんなもの当たり前に読んでいた周りのものに驚きもしたものだ。

それで思い出したのだが、
もっとも西郷も斉彬に庭方役に任命され江戸に出たのは1854年 26歳 4月のことだった。
他の志士たちと比べると相当な年齢差だ。

そして
斉彬の指示で、全国の尊皇志士に大きな影響を与えた水戸学藤田派の学者藤田東湖に会い、若き天才橋本左内らと共に深い感銘をうける。
鹿児島と江戸の知的環境の違いの西郷も大いに驚いたはずだ。

(徳川御三家のひとつ水戸家とは何か?薩摩藩と水戸藩のつながり、共通点と相違点などおさえておけば、幕末史、それに西郷どん、それに島の歴史の理解に、おおいに役立つと思う。 あと五摂家筆頭の近衛家との関係でしょうか)
常陸水戸藩の第9代藩主斉昭は、ドラマでもすでに登場している。

ドラマで薩摩と久光をイモとののしる、ひー様(最後の将軍・徳川慶喜)はこの徳川斉昭の実父だ。ひー様は、御三卿一橋徳川家の第9代当主になり、ドラマでは現在、将軍後見職などを務めた)

西郷も井伊直弼の安政の大獄で終われる身になり、島にやってくるのだが、斉昭も井伊の激怒(一橋慶喜らと江戸城無断登城)で水戸での永蟄居を命じられ事実上政治生命をたたれることになった。

沖永良部島からもどった西郷どんは、
1864年36歳になっていた。

その西郷へ対する京での期待が、いかにすごいか、というのが今回の力点だが、
初めての江戸から10年が経っているが、その半分は島暮らしである。

島での、のびのびした表情から一転して見慣れてあの重々しい西郷隆盛顔に変わる演技はさすがさ。

顔といえば今回も国父・久光の顔芸が今回も光った(久光は実はあんなバカ殿風ではなかったということも描かれるのだろうか)。

島暮らしでがまんつよくなった西郷が強調され、

最後の場面

酌をしながら

一橋様は井伊様とは違います。
幕府が守らにゃきゃならぬのは幕府ではありません(←薩摩弁が消えちょる)守るべきものは民でございます。だれよりもまず、か弱き民でございます。

神妙な顔で

お前は変わらんなあ

あれから今日まで、おいはさらに多くの民とかかわってきました。攘夷か開国か、それを考えるためにも、まずは、民の暮らしを守ることを考えてたもんせ(薩摩弁もどる)
強きものが弱きものを守る、それこそが、まつりごとではありませんか。

(島編では、西郷は、本土とは違う文化の島で多くの人に出会い、子供たちに分け隔てなく読み書きを教えたりしてきた)

「何いってんだい、お前だいじょうぶか」



島での体験と読書が西郷えお学問的にも成長させている
島帰りの西郷が次期将軍のこころを動かすのだった。

(中略)

話は進み、ひーの身代わりが何者かに暗殺される。
世情騒然になり、身ににせまる危険にうろたえた、ひー様は、薩摩の軍事力がほしくなる。

久光のあやまらなければならない。
(イモ、イモとバカにしてはいけない、中国から沖縄、奄美を通じて鹿児島へ伝わたイモで人口が増えたことこそが、薩摩の軍事力の背景であるばかりでなく、
江戸をふくめ、広く日本から飢饉による人口減をおさえたのも事実であることは、この時点でひー様お気づきだあろうか)

今回、島から京へ一転といえば、もう一つのひー様の、表情の豹変ぶり、その顔芸に注目だ。

ひー様、かしこまる西郷ににじりより

「こういう時だからこそ、こころとこころで向きあいたい強き者がおる」

ひー様慶喜は右手で西郷の左手を強くとって

「お前だ・・西郷」と言って左手でも強く握る慶喜。

その表情は、これまでのひねくれた遊び人町人風から、天真爛漫な少年のような表情に一変する。

次にアップされる西郷の顔は、オープニングの純粋な田舎少年風になっていて一瞬とまる。

「お前の熱いこころを俺にくれ」

「薩摩は私とともにある」「西郷、信じておるぞ」

この時の慶喜の表情のあまりの豹変ぶりに
顔をあげた西郷は、すぐに目線を落とし、驚いたようにかしこまり、一礼する。

音楽が重苦しくなって、慶喜の口元がすこし曇る。カメラは口元しかとらえない。

西郷が再び顔を上げるが、すぐに笑顔に戻った慶喜は足早に退室し、

西田敏行「慶喜の声の奥(顔の表情ではない)に、なにか不気味なものを感じる吉之助でありました。・・・
今宵はここらでよかろうかい」

つづく


大相撲7月場所(2018) 中日 奄美力士星取表(幕下上位以上)動画つき解説 佐田の海× 明生 大奄美×琴勇輝

2018年07月15日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 中日 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 ***O*O**  2勝6敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
 
前頭十二枚目 佐田の海(4勝4敗)押し出し
前頭十六枚目 明生(2勝6敗)
 
abematv 19分20秒くらい立ち合い。
明生、場所前に稽古で痛めたという、左足はそうとう悪いですね。
サポーターで足裏が滑るというより、浮かしているような足の動きだ。
それを感じた佐田の海は、途中から差し手争いを放棄して急遽、持ち前の
速攻突き押しに転じ、成功した。
明生、俵にかけた左足も痛々しい。
 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO****OO     4勝4敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
十両二枚目 大奄美(4勝4敗) 寄り切り
十両三枚目 琴勇輝(5勝3敗)
 
 
「灼熱の名古屋」で日焼けしたのか、大奄美は一段と重々しく見える。
たちあい。
琴勇輝の突き押しはさすがだが、しかし大奄美は重い体で突き離されずれず、
距離与えなかったがゆえに、琴勇輝突きの威力を半減している。
これも大きな体と思いを活かす技だ。
土俵際、反攻のきっかけとなった左上手がサッと取れたのもその距離感のためだ。
胸を合わせられ、突き押しを完全に封じられた琴勇輝は、もうだめだった。
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OOOO*O  5勝3敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-*--*   1勝3敗
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

去年の記事 ドラマチック夕景 『蘇鉄残照図」★ヒエン浜 大和村戸円 まとめ

2018年07月14日 | アート・文化
 
ドラマチック夕景 『蘇鉄残照図」★ヒエン浜 大和村戸円 まとめ

其3完ドラマチック「蘇鉄残照図」S40年代 ★ヒエン浜 大和村戸円 名瀬~南へ車50分 古墳時代~平安時代のヒエン浜遺跡が★#田中一村 栃木県生 東京美術学校を2か月余で中退。......
 

ドラマチックレンジはいまだに気に入って使っている。


大相撲7月場所(2018) 7日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)

2018年07月14日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 7日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 ***O*O*   2勝5敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO****O     3勝4敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OOOO*   4勝3敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-*--   1勝2敗
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

オオムラシキシキブ( 大紫式部)の花

2018年07月14日 | 植物

 

↑ オオムラサキシキブの実(2012年12月撮影)

オオムラサキシキブはムラサキシキブ(紫式部)の変種。
クマツヅラ科(シソ科とも)の落葉低木

和名は紫の実がたくさんのイメージ(「シキミ」とは重る実=実がたくさんなる)から転じて源氏物語の作者紫式部になったなどと説明される。
下の記事の花は、奄美市名瀬の浦上の川岸で見つけたものだが
葉が若く虫食いなどもなく、葉腋から出る淡紫色の小花が作る散房花序はは、美しい対になっている。その後ろの花序も同じように整列している。
花も実も美しいのだが、自然ではうつろいやすく、撮影にはタイミングある。
実の美しさから園芸栽培もされるというから、この花は園芸品が逸出したものかもしれない。今の時期、山道でも車からよくみかける。
図鑑などでは「国内での分布:本州の関東から沖縄の海岸付近の低地林の林縁に生える」とある。
秋の陽をうける実の紫の色合いには、バリエーションがあってよく目立つ。これまた撮影にはタイミングが・・・。


大相撲7月場所(2018) 6日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)動画付解説 石浦×明生

2018年07月13日 | 大相撲
サガリバナ、つぼみと落花。記事との関連はありません。
大相撲7月場所(2018) 5日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 ***O*O    2勝4敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗

前頭十五枚目 石浦(3勝3敗)
 寄り倒し 
 
○前頭十六枚目明生(2勝4敗)
 
小兵の石浦の相撲は里山を彷彿させるが、
石浦は日大の里山の後輩だ。
巡業の際はは二人で島のラジオにも出演するほどの仲だ。
石浦の筋肉は充実し、技にも力がこもっている。
そんな石浦を潜らせてしまったのは、明生イカンのだが、
その後を動きを見ると、明生は、はねのける自信があったのかもしれない。
手をこまねいている場面がなく、足も出した。
最後は、石浦のたすき掛けを明生が逆転したように見えるが、
攻めを主導したのは明生の左からの掬い投げだった。
勝負の瞬間、とっさに体を抜いて上になったのは、
日ごろの稽古のたまものだろう。勝ったあとの表情に、負けない気迫と自信が。

十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO****      2勝4敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
十両
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OOOO  4勝2敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-*-    1勝2敗
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

大相撲7月場所(2018) 5日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)解説 琴恵光 明生 

2018年07月12日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 5日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 ***O*           1勝4敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
前頭十四枚目琴恵光(2勝3敗)
 掬い投げ 
前頭十六枚目 明生(1勝4敗)
                            
 
ラジオの立ち合い実況
藤色(淡く青味の紫色で、フジの花(wisteria)の色)締め込み、肩幅の広い筋肉質、男前は琴恵光
対するは柔らかな体、前への推進力がある明生。
そんきょの姿勢、先に解いたのは琴恵光、足の裏で砂をはらって
足が決まりました。
明生は右手で銀ねずの締め込みをたたいて足が決まります。
先に琴恵光腰を割りました。今日は右から張っていくかどうか。
合わせる行事は黄緑の装束、木村げんじろう。
明生、下がりを分けて腰をひねるように割っていきました。
さあ、立ち合い。
 
以上NHKラジオ放送席
 
明生の立ち合い、頭は相手より低く当たりもパンチがあったのだが、
琴恵光、野武士のような表情(見たわけではないが)で、仁王立ちの受け止め。
引かない。腰は低く重い。
明生は、その胸板に乗せられてしまったようなかっこうだ。
琴恵光、右下手を深い位置で取り、
強い力で引き付け、懐に入り明生の上体を立たせ、動きを奪った。
負けた明生は、この相撲をさぞかし悔やむことだろう。
勢いはよかったのだが、立ち合いがすべってしまった。
 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO***      2勝3敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OOO   3勝2敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-*      1勝2敗
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

島津久光 今上天皇の直系祖先  一方異母兄斉彬の子は?

2018年07月11日 | 歴史 民俗

薩摩藩の実験をにぎる島津久光は西郷とそりが合わず、朝廷主導の公武合体を実現すべく卒兵上京の途中、命に反したとして西郷を島流しにした(現在ドラマでは赦免帰還中)のだったが、のちに久光の長男忠義(薩摩藩最後の第12代藩主)の七女俔子(ちかこ)は皇族久邇宮彦王(くにのみやよしおう)の妃となり、夫妻の第一女王・良子(ながこ)女王(香淳皇后)は昭和天皇の皇后となり天皇陛下を産む。
一方西郷が尊敬する斉彬(久光の異母兄)の娘2人は忠義の正妻、後妻になるが、子はなく他の娘も多くは早逝し、久光の三男の妻となった四女典姫(典子)だけが天寿をまっとうしている。
斉彬の6人の男子はすべて夭折している。

 


大相撲7月場所(2018) 四日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)実況と解説●北勝富士○明生(1勝3敗)

2018年07月11日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 四日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 ***O    1勝3敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
 
前頭十六枚目●北勝富士(2勝2敗)
 寄り切り 前頭十六枚目○明生(1勝3敗)
 
ぎんねずのまわしがいままでのどの色よりしっくりくる感じの明生。
稽古と若さ(22)ではちきれんばかり。
ふっくらとお相撲さんらしい
きれいな体だ。
首のうしろには、ときおり筋肉の盛り上がりも見え、
はりもあって無駄もない、稽古十分な体つきだ。
 
銀鼠(ぎんねず)とは、銀色のようなほんのり青みを含んだ明るい灰色
瀬戸内のエメラルドの海にお日様が溶けるときの輝きの色だ。
パンチのあるひとつひとつの技に重さと力つよさも加わって
幕内定着の期待も膨らむ相撲内容だった。
25歳の北勝富士は、相撲は取っているがまったく防戦一方の内容だった。
===
向こう正面は、きょうは宮城野親方ですが、宮城野さん。
はい。
まず今日は二本差していったんですね、明生は。
そうですね、その後も前によく出ていってますね、明生は。
ええ。
左差しも早かったですね。
胸が合ってどうかと思いましたがそこからの攻めもやはり
宮城野さんが今いったように早かった。
そうです。
小さな体ですが、北の富士さん、この気迫と、どんどん攻めようという姿勢ですねえ、明生は。
まあ、小さいって、そんなに小さいですか?明生は。
決して体はそれほど大きくはないですが、
いやーも、いい体してんじゃないですか?
ああ、そうですか、
・・どれご・・
それは、よくわかんないけど・・
はい。
180ぐらいあるんでしょう?
身長はですね、明生は,ちょうど1メータ80センチ
そうでしょう
はい
うn、そんなに小さくはないでしょう。いまの相撲にも合っているじゃないですかねえ。
ああ、そうですか。
うーんなかなか僕は十両ぐらいから、よくなるなあとは、思ってましたけどねっ。
ううん。
??この稽古で鍛えたね、いい体していると思いますよ。
ううん。
ううん。
このあとはうれしい新入幕の初白星のインタビューをお伝えします。
(録音失敗)
 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO**      2勝2敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OO   2勝2敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **OO   2勝2敗
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O-     1勝1敗
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗
 

大相撲7月場所(2018) 三日目 奄美力士星取表(幕下上位以上)

2018年07月10日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 三日目 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月 西前16 ***        0勝3敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗
 
明生(0勝3敗)上手投げ 隠岐の海(2勝1敗)
abematb 17分13秒ごろ立ち合い
 
気持ちの強さは師匠も認める明生。負けた相撲も内容は悪くない相撲が多い。
 
隠岐の海の寄りを耐えて投げの打ち合いに持ち込んだあたりは、まだまだ好調のあかしだろう。
隠岐の海の左下手は深く、じわじわと力の入る位置をさぐりながら寄った。
一方、明生の左下手は、残したあと、追い込まれ、回り込んで投げへ転じるところで
急遽持ち変えるかっこうになっている。
はちきれんばかりの若さの明生(22)の奮闘も、ふところを深くして、終始、自分十分の攻めを維持したベテラン隠岐の海(32)の技ありの強さには歯がたたなかった。
 

 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 OO*        2勝1敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
十両二枚目●大奄美(2勝1敗)寄り切り 前頭十五枚目○竜電(2勝1敗)
abematb 8:39秒くらい立ち合い
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 **O             1勝2敗
 
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *-O      1勝1敗
 
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

今週の西郷どんは本編はお休みで、特番第2弾「いざ革命へ!西郷と4人の男たち」 視聴率は11・8%だった。

2018年07月10日 | 歴史 民俗

今週の西郷どんは本編はお休みで、特番第2弾「いざ革命へ!西郷と4人の男たち」
視聴率は11・8%だった。

英傑4人とは 勝海舟、坂本龍馬、岩倉具視(笑福亭鶴瓶さん)、桂小五郎だ。

名瀬の書店でもその著書をよく見かける歴史家の磯田道史さんが4人の金言をわかりやすく、おもしろく紹介するもの。

前回、沖永良部の第25話は12・7%。

また、12話と13話の間に(4/1日)放送された特番第1弾『西郷どんスペシャル~鈴木亮平×渡辺謙の120日~』は9.7%だった。

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特番第2弾のタイトルが「いざ革命へ・・・」となっている。

前回、沖永良部で西郷を見送る川口雪篷が
「革命」と書かれた旗をふっていたのは、大河ドラマ後半への応援の意味もあったのだろうか。

以下は、番組の感想ではありません。
思いついたままキーを叩きます。(数字等は検索で確かめたつもりです)

維新1868までは4年くらいしかないが、このとき(沖永良部から出る)西郷は35、6才。

斉彬に抜擢され西郷が初めて江戸にいったのは28才(安政元年1854)

奄美大島に来たのが安政6年(1859年)1月 
そこで西郷は33才、愛加那は23才のとき結婚し、2人の子を産み、たぶん生涯でもっとも幸せな3年あまりを過ごす。

西郷召喚の蒸気船が沖永良部島和泊に迎えに来て川口雪篷が旗をふったのは元治元年(1864年)

西郷初めての江戸から10年目のことで、そのうち
通算約5年の島暮らし。そして沖永良部から召喚後すぐ(半年後)京都で西郷の初陣禁門の変(1864年8月20日)へと、

後半となる次回はすすむのだろう。

西郷が西南戦争、明治10年(1877年)で死ぬまで13年くらい。
享年51(満49才)

こうしてみると西郷の人生で島暮らしの時期と期間、経験は半端なものではない。

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ついでながら、そもそも斉彬が西郷を大抜擢したのは、西郷がよく提出していた藩の農政などにたいする上申書の内容が秀逸だったからと言われる。

元治元年(1864年)に沖永良部から鹿児島に帰った西郷は足が立たなかったと言われるほど、島での牢生活で体が弱っていたなかで、
島三島(喜界島 奄美大島 徳之島の三島)の藩による過酷な収奪で困窮を極める島民の窮状を訴える上申書を手掛けている。(沖永良部島 与論島は入っていない)

これはさきに奄美大島で、自分は、藩から扶持(生活手当)を受けている身ながら、島民の窮乏を知って愕然とし、帰還の際、提出できないまま、2か月後、捕縛(公武周旋の久光の「下関で待て」を破る 前々回)され、ふたたび遠島となっていたものだという。

島民の窮乏は、西郷が尊敬してやまない斉彬と斉彬の曽祖父にあたる重豪の「蘭癖」もけっして無縁ではない。

11歳で家督を継ぎ孫の斉興(なりおき)の代まで藩政に関与し、

島にも多くの政治犯を送こととなり、西郷や大久保にも少なからず影響を与えた大きな2つのお家騒動(近思録崩れ お由羅騒動)にも関係があり、89才まで生きたといわれる重豪は、日本史の上でも大名らしい大名で重要な人物だが、島の人々にとっても、ツッコミどころの多い大名だ。この二人の蘭癖と、二人の「篤姫」の輿入れなど島は、大きな無理を強いられただろうと想像(記録もある)できるからだ。島の人ばかりではないのだろうが。

続�く


大相撲7月場所(2018) 初日 奄美力士星取表(幕下上位以上)

2018年07月08日 | 大相撲
大相撲7月場所(2018) 初日 奄美力士星取表(幕下上位以上) 
幕内
明生(瀬戸内町)22歳
7月  西前16 *     0勝1敗
5月 東十4*OOOOOOO*OO*O** 10勝5敗
3月 東十3 O***O**OOOOO*** 7勝8敗
1月 西十4 ****O**O%*OOOOO 8勝7敗

十両筆頭○豪風 叩き込み ●明生
 
十両
大奄美(龍郷町)25歳
7月 東十2 O        1勝0敗
5月 東前11*OOO******O**** 4勝11敗
3月 東前16 O*OOOOOO****OOO10勝5敗
3月 東十9 O**OO**OOOO***O 8勝7敗
 
千代ノ皇(与論町)27歳
7月  東十11 *     0勝1敗
 
5月 東十9**O*O*O*O****%O 6勝9敗
3月 東十6 *OO*O**O***O**O 6勝9敗
1月 西十6 OOOOOOO******O* 8勝7敗
 
幕下
里山(奄美市)37歳
7月 東下14 *       0勝1敗
 
5月 東下22*-O--O-O*--O--O 5勝2敗
3月 西下14 O-O--*-*-*-*--O 3勝4敗
1月 西下20 O--*O--O-*-O*--4勝3敗

続・続 西郷どん第25回「生かされた命」 芥川龍之介 歴史感 昇曙夢 『奄美大島と大西郷』 安達 征一郎の西郷本

2018年07月07日 | 歴史 民俗

写真と記事の関連はありません。

きのうの記事の連想のつづき

西郷隆盛論は、福沢諭吉 内村鑑三 頭山満三 島由紀夫 江藤淳 橋川文三 司馬遼太郎など数多くあるが、

西郷論といえるかどうか芥川龍之介の短編にも不死伝説めいた『西郷隆盛』(大正6,7年)がある。
この作品は検索して、青空文庫で読める。

芥川の作品にはよく列車の中が登場するが、この作品も
列車に西郷隆盛そっくりの人物が乗っているという話だ。
維新史を研究する学生にその人物の寝ている姿を見せた老紳士が
最後にこういう。

ネタバレになるといけないので少しだけコピーすると

老紳士は「嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない」中略「美しい歴史さえ書ければ、それで満足する」と言うのだった。

この小説は歴史好き、西郷好きというより芥川ファンに受けそうだが、芥川龍之介の歴史感、芸術感が表れている。研究者の間でも評価が高いという。

「嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない」というところで、フェイクてんこ盛りとかいわれるドラマ「西郷(せご)どん」を思い出した、という次第である。

「美しい歴史」とは?、天才のいうことなのでちょっと理解には苦しむところだが、
(フェイクでない)史実とは何か?ということもまた簡単には答えられない。

歴史は勝者の側によって書かれると言われるが、勝者の中でもエリートが書くのだろう。
それに証拠(おもに文書)がなければ通説にはならない。
たとえば、西郷が終生いたいていたと思われる、斉興派による「斉彬毒殺(置毒)」説も
確たる証拠など残ろうはずもないのである。海音寺潮五郎が支持しても通説というわけにはならない。
それいがいにも通説として残るには、様々な要因も考えられる。

あ、話が少しそれたところで、実は、西郷論は、われらが奄美大島の昇曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22日、ロシア文学者。正教会の信徒 晩年には奄美群島の本土復帰運動に尽力したwiwi)も書いている。

『奄美大島と大西郷』 春陽堂, 1927 ほか

そして昇曙夢(のぼり しょむ)が芥川龍之介におおきな影響を与えたということは、あまりにも知られていない。

この事実も「歴史」を考えるうえでも考えてもよいことだろう。
歴史に通説として残るには、様々な要因も考えられること例として。

昇曙夢 芥川 で検索すると、『ロシア文学者 昇曙夢&芥川龍之介論考』 単行本 – 2001/11
がヒットする。これは名瀬の図書館でも読める。

amazon 内容(「BOOK」データベースより)
ロシア文学が近代日本文学に重要な役割を果した事は学界の定説である。二葉亭四迷なきあと、明治末から大正時代には武者小路実篤が語るように「昇曙夢」の時代が確かにあったのである。宇野浩二や広津和郎・芥川龍之介等、大正・昭和の作家達に芸術家魂を吹き込み深甚な影響を与えている。更に魯迅も曙夢の著・訳書を購入し、重訳している。本書は奄美郷党は勿論、国文学者・ロシア文学者・比較文学者・スラヴ史研究者必携の基本図書となるであろう

 

関連このブログ 『ロシア文学者昇曙夢&芥川竜之介論考』和田芳英/著と『原郷の奄美―ロシア文学者 昇曙夢とその時代』

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他に奄美大島生まれで小説家の安達 征一郎(あだち せいいちろう、1926年 - 2015年、日本の小説家、児童文学作家)の西郷本もあります。
私はまだ読んでいませんが、これらは図書館にもありますし、最近名瀬の書店の西郷どんコーナーでみかけました。

『私本西郷隆盛と千代香 沖永良部島編』海風社 南島叢書 1998
『私本西郷隆盛と千代香 薩長同盟編』海風社 南島叢書 1999
『私本西郷隆盛と千代香 鳥羽伏見の戦さ編』海風社 南島叢書 2001
『私本西郷隆盛と千代香 江戸無血開城編』海風社 南島叢書 2002

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西郷どんネタ、続く。かも