夫が開腹手術をしたのは、娘が4年生の夏休みだった。
もうかなり昔の事なので、現在の進歩した医学では、理解し難いこともあるし、輸血の制度も違っていた。
手術を終えて麻酔から覚めた夫は、腰がだるいから体を横に向けて欲しいといったので、そうっと体の位置を変えた瞬間、ベットが真っ赤に染まった。出血がお腹の中で起こっていたのだ。
医師や看護婦が駆けつけた時は血圧の低下が著しく、即、再び手術室に運ばれていった。
その後の記憶は、まるで長い暗いトンネルの中で、ひたすら夫の命が助かることを、集まってくれた人達と願うのみだった。
大出血のため輸血が24時間毎日続けられた。
献血手帳のある分は、血液型に関係なく、夫の血液を確保できた。それは、夫と同じ型の血液の保存血を輸血してもらえたのだ。
しかし、献血手帳を提供していただくにも限りがあった。
病室につききりの私の知らないところで、夫への献血の動きが、夫の職場だけでなく私や父、弟の職場で行われていたことを後で知った。
毎日4人ずつの人が、1時間ほどかかる病院に来てくれて、献血をしてくださる。すると、夫と同じ血液の保存血が、夫に輸血される。
何日かこんな日が続き、ずいぶん多くの方の善意にすがることが出来た。
しかし出血は一向に止まらず、主治医から、保存血でなく夫の血液型と同じ人の新鮮血に、変える治療の方法の必要性を聞かされた。
今までとは違って範囲が狭められてしまったけれど、地元の元気なO型の方がやはり4人ずつ病院に来てくださって、採血しそれを夫に輸血して頂ける体制を組んでもらえたと聞いた時は、あり難さに涙が止まらなかった。
新鮮血の輸血を始めてから、ベットの下においてあるドレーンに落ちる液体の色が目立って薄くなってきた。
すっかり透明になった時、
「明日からは、採血に来てもらわなくてもいいです。」と医師から言われた。
夫の命はこうしてずいぶん多くの人の尊い献血によって繋ぎ止められたのだった。
手術の後遺症で、時々入院することもあったが、それから10年間の命を頂いた。
貴重な10年間であった。
あの時、頂いた人様の血のありがたさを、どなたかに返していけたらと、私は献血登録をして定期的に献血をするようになった。
娘の動機は、はっきり話さないけれど、やはり自分の血液が誰かのためにどこかで役立って欲しいとの気持ちから発していることは確かである。
孫娘は16歳で献血デビューをするといっている。
娘の採血を待つ間も次から次へと若い人が献血に訪れる待合室で、献血によってつながれた夫の命を重く受け止めた日であった。
(写真は、22日の娘の献血に行った日のであり、夫の輸血とは関係ありません)
もうかなり昔の事なので、現在の進歩した医学では、理解し難いこともあるし、輸血の制度も違っていた。
手術を終えて麻酔から覚めた夫は、腰がだるいから体を横に向けて欲しいといったので、そうっと体の位置を変えた瞬間、ベットが真っ赤に染まった。出血がお腹の中で起こっていたのだ。
医師や看護婦が駆けつけた時は血圧の低下が著しく、即、再び手術室に運ばれていった。
その後の記憶は、まるで長い暗いトンネルの中で、ひたすら夫の命が助かることを、集まってくれた人達と願うのみだった。
大出血のため輸血が24時間毎日続けられた。
献血手帳のある分は、血液型に関係なく、夫の血液を確保できた。それは、夫と同じ型の血液の保存血を輸血してもらえたのだ。
しかし、献血手帳を提供していただくにも限りがあった。
病室につききりの私の知らないところで、夫への献血の動きが、夫の職場だけでなく私や父、弟の職場で行われていたことを後で知った。
毎日4人ずつの人が、1時間ほどかかる病院に来てくれて、献血をしてくださる。すると、夫と同じ血液の保存血が、夫に輸血される。
何日かこんな日が続き、ずいぶん多くの方の善意にすがることが出来た。
しかし出血は一向に止まらず、主治医から、保存血でなく夫の血液型と同じ人の新鮮血に、変える治療の方法の必要性を聞かされた。
今までとは違って範囲が狭められてしまったけれど、地元の元気なO型の方がやはり4人ずつ病院に来てくださって、採血しそれを夫に輸血して頂ける体制を組んでもらえたと聞いた時は、あり難さに涙が止まらなかった。
新鮮血の輸血を始めてから、ベットの下においてあるドレーンに落ちる液体の色が目立って薄くなってきた。
すっかり透明になった時、
「明日からは、採血に来てもらわなくてもいいです。」と医師から言われた。
夫の命はこうしてずいぶん多くの人の尊い献血によって繋ぎ止められたのだった。
手術の後遺症で、時々入院することもあったが、それから10年間の命を頂いた。
貴重な10年間であった。
あの時、頂いた人様の血のありがたさを、どなたかに返していけたらと、私は献血登録をして定期的に献血をするようになった。
娘の動機は、はっきり話さないけれど、やはり自分の血液が誰かのためにどこかで役立って欲しいとの気持ちから発していることは確かである。
孫娘は16歳で献血デビューをするといっている。
娘の採血を待つ間も次から次へと若い人が献血に訪れる待合室で、献血によってつながれた夫の命を重く受け止めた日であった。
(写真は、22日の娘の献血に行った日のであり、夫の輸血とは関係ありません)