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小春日の石光寺境内 | |||||||||
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山門を入ってすぐの所に「想観の沙」と呼ばれる寺域がある。
美しく形作られた白砂の山だ。
手前は、上が正方形で、四すみが角を整えたまま地に下りている。
向こう側の白砂は、頂上が丸く、従って下への広がりも丸みを持ったまま地に達している。
丸みのあるほうが、四角いのより高さがある。
心を表しているのだろうか、仏様の教えなのだろうかと、じっと「想観の沙」の前に立ち尽くしていたが、お参りの人もあり境内散策に歩みだした。
藁菰を被った寒牡丹に見とれ、境内にすっくと立っていらっしゃる聖観音様の穏やかさや、お地蔵様の優しさに癒され、青空に浮かび上がるような冬桜のほころびに感動したひと時を過ごした。
ブログを書くために写真の整理をしていて、「想観の沙」の意味をどうしても知りたくなって、お寺に電話でお尋ねした。
ご住職がお留守とのことだったが、夜お電話を頂いた。
「四角いのが凡夫(在世の人)であり、丸いのが阿弥陀様を表しているとの事で、さまざまな苦悩の角をわれわれは持ちながら、身の儚さ、、脆さを踏まえて阿弥陀様の姿を頼みに現在生きているというか、皆頑張っている。」
法然上人の浄土宗の教えについてのお話をしてくださった。
いろんなお話を伺ったが、「想観の沙」についての私の疑問は解けた。
ご住職の親切で、誠実な対応に感謝しながら石光寺の記事を終えたい。

