カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

フクロウたちとの再会

2006年04月25日 | ★ 日々の呟き
10月の終わりにお友達5人で、御所市の東川和正先生の陶芸教室で作ったフクロウたち。
写真は、マオママさんが、お迎えの日に持ってきてくださったのを使わせていただいた。

ヘンシーン

フクロウたちは、このように変身して待っていてくれた。
この日も先生の助言を受けながらの作品作りに専念した。
土を触っている時の楽しい時間は至福のときである。


昼食はマオママさんが用意してくれた美味しいお弁当だ。
本物の竹の皮で作った民芸風の弁当箱の感触が懐かしい。
烏骨鶏のゆで卵入りとある。殻の色が鶏の卵と違って淡い黄色がかっていてやや小さい。
御所市で飼育しているのだろうか。とにかく初めて食した。


先日石上神宮にお参りしたときに境内で見た烏骨鶏が、アルバムの中にあるのを思い出して取り出した。
「烏」とつくので、黒いのかと思っていたが、白い烏骨鶏の方が沢山いた。
鶏より確かに小さいから、卵も小さいはずだと納得した。

とにかく、近くにこのような美味しいお弁当があるのを、遠方のマオママさんのほうがよく知っていて用意してもらえたことに感謝、脱帽である。

この日の作品が出来上がるのが楽しみである。
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献血・その2・輸血によって命繋がれて・・・

2006年04月24日 | ★ 日々の呟き
夫が開腹手術をしたのは、娘が4年生の夏休みだった。
もうかなり昔の事なので、現在の進歩した医学では、理解し難いこともあるし、輸血の制度も違っていた。

手術を終えて麻酔から覚めた夫は、腰がだるいから体を横に向けて欲しいといったので、そうっと体の位置を変えた瞬間、ベットが真っ赤に染まった。出血がお腹の中で起こっていたのだ。

医師や看護婦が駆けつけた時は血圧の低下が著しく、即、再び手術室に運ばれていった。

その後の記憶は、まるで長い暗いトンネルの中で、ひたすら夫の命が助かることを、集まってくれた人達と願うのみだった。
大出血のため輸血が24時間毎日続けられた。
献血手帳のある分は、血液型に関係なく、夫の血液を確保できた。それは、夫と同じ型の血液の保存血を輸血してもらえたのだ。
しかし、献血手帳を提供していただくにも限りがあった。

病室につききりの私の知らないところで、夫への献血の動きが、夫の職場だけでなく私や父、弟の職場で行われていたことを後で知った。

毎日4人ずつの人が、1時間ほどかかる病院に来てくれて、献血をしてくださる。すると、夫と同じ血液の保存血が、夫に輸血される。
何日かこんな日が続き、ずいぶん多くの方の善意にすがることが出来た。
しかし出血は一向に止まらず、主治医から、保存血でなく夫の血液型と同じ人の新鮮血に、変える治療の方法の必要性を聞かされた。

今までとは違って範囲が狭められてしまったけれど、地元の元気なO型の方がやはり4人ずつ病院に来てくださって、採血しそれを夫に輸血して頂ける体制を組んでもらえたと聞いた時は、あり難さに涙が止まらなかった。

献血を終えて止血帯をしたままロビーでゆっくり休憩する
新鮮血の輸血を始めてから、ベットの下においてあるドレーンに落ちる液体の色が目立って薄くなってきた。
すっかり透明になった時、
「明日からは、採血に来てもらわなくてもいいです。」と医師から言われた。

夫の命はこうしてずいぶん多くの人の尊い献血によって繋ぎ止められたのだった。

手術の後遺症で、時々入院することもあったが、それから10年間の命を頂いた。
貴重な10年間であった。

あの時、頂いた人様の血のありがたさを、どなたかに返していけたらと、私は献血登録をして定期的に献血をするようになった。

娘の動機は、はっきり話さないけれど、やはり自分の血液が誰かのためにどこかで役立って欲しいとの気持ちから発していることは確かである。

孫娘は16歳で献血デビューをするといっている。

娘の採血を待つ間も次から次へと若い人が献血に訪れる待合室で、献血によってつながれた夫の命を重く受け止めた日であった。
(写真は、22日の娘の献血に行った日のであり、夫の輸血とは関係ありません)

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献血その1・娘の献血・146回目

2006年04月23日 | ★ 日々の呟き

献血は16歳から69歳まですることが出来る。
私は降圧剤のお世話になるまで、1年に3~4回の献血を続けてきた。
大抵は大阪の娘の家から近い日赤血液センターでしていた。



本日のご案内を読むと、成分献血に協力をと書かれている。
娘は毎回成分献血をしている。

これは、採血した血液を、成分採血装置を使用して血漿や血小板といった特定の成分だけを採血し、体内で回復に時間のかかる赤血球は再び体内に戻す方法だ。
だから成分献血は身体への負担も軽く、多くの血漿や血小板を献血できる特徴がある。
つぎの献血が2週間後には出来るように回復する。

この日の献血は146回目であると聞いて驚いた。
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湖西・安曇川、今津線を走ると・・・

2006年04月22日 | △ 旅 あれこれ ドライブ
新あさひ風車村
安曇川町から161号線を逸れて右手に湖の見える湖岸道路を走る。
メルヘンの世界のような風車のある道の駅は2度目であって好きな場所である。




はっきりと地名が分からなかったが、左手に突然黄色い色彩が飛び込んできた。
以前ブログで守山辺りの菜の花畑の見事な風景を見たのが2月か3月の初めだったような気がする。
まさか、今頃こんなに畑一面の菜の花と出会えるとは思いもしなかったので嬉しい。



しかも、その向こうには桜の並木がある。
ピンクと黄色に彩られた春景色が湖岸で見ること、心も春麗である。

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琵琶湖東岸から

2006年04月21日 | △ 旅 あれこれ ドライブ

快晴の空を映して湖は、どこまでも青い。遥か彼方に近江大橋を望む。


              4画像
琵琶湖東岸には、一休みしたいと思う場所に駐車場があり、トイレの設備もあるのでドライブは快適である。
駐車場からの景観は贅沢の粋を尽くして湖の美しさを見せてくれる。
今は、ユキヤナギ、スイセン、辛夷の花が、ベンチの周りで咲き、広々とした湖を前に色彩を添えている。
白いタンポポの群生を目にすることも出来た。


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