カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

晩秋の明日香

2012年11月25日 | ☆ ふるさと・大和

 

  

 

『万葉集では、秋に草木が赤色や黄色に変わることを「もみち」と詠み、「黄葉(もみち)が圧倒的に多く、「紅葉」の用語はわずかである。』 明日香と秋を題材にした万葉集を調べていますと、殆ど「紅葉」という表記のないことに気がつきました。 黄葉と書いて「もみち」と読まれています。 万葉植物学者の尾上ツヤ子先生にいつだったかそのようなお話を聞いたのを思い出しました。 

デジブック 『晩秋の明日香』

 

 

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明日香・石舞台と赤い蕎麦の花

2012年11月24日 | ☆ ふるさと・大和

 

 

明日香は晩秋の装いでした。 先日談山神社へ行く途中で、石舞台の道路を隔てた左側に、赤いお花畑があるのに気づいたのは、カーブに差し掛かったのと、観光客の多いのと自転車のグループが車の傍を通っていたのとで、事故でも起こすと大変と、左側を1瞥しただけで確かめる術もなく、多武峯を目指して通り過ぎました。  

 

 

まさか今頃蕎麦の花だとは思わなかったのですが、この場所には以前紅花が植えてあったので、嬉しいサプライズがあるかもしれないと、今日早昼を済ませて明日香へ行ってきました。 

目指すのは石舞台へ。    駐車場は満車でしたので、少し先の棚田へ行くために右折する手前の駐車スペースにぎりぎりに停めて、石舞台まで引き返しました。  

  

    

大きくして見て下さい。

咲いていたのは蕎麦の花でした。 少し花の盛りが過ぎたようでしたが、赤い蕎麦の花と古代の、大きな勢力を持ってこの地に君臨した人のお墓といわれる、巨石古墳との取り合わせも古代へのそこはかとないロマンがあって、見る人の想像を豊かにしてくれます。

今日は絵画のグループの人が、写生をしていましたし、蕎麦畑を背にしたベンチで、お弁当を開いている女性のグループもありました。

気温は低く冬型の気圧配置だと天気予報で言っていましたが、明日香は風もなく穏やかで、初冬というより晩秋の趣の光景に包まれていました。

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デジブック 『談山神社 錦秋』

2012年11月23日 | ☆ ふるさと・大和

デジブック 『談山神社 錦秋』

 

 談山神社のシリーズにしようと思っていましたが、途中で挫折してしまいました。こんなことが時々あります。それで、デジブックに纏めました。重なる部分が大方ですが、自分の一つの記録として、アルバムにしました。

画像は談らい山の登山口です。

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拝殿回廊の吊灯篭 談山神社2012

2012年11月22日 | ☆ ふるさと・大和

 

   

 

      

石段を上がるにつれて視界の中に入ってくるもみじは本当に美しいものです。 とんとんと登れなくてもゆっくり周りを楽しむのも年を重ねた証だと思いながら、重文・楼門を入り朱色の美しい拝殿に辿り着きます。 先ず拝殿から本殿に参拝しました。 丁度この本殿の裏山が談らい山・566mです。重文・権殿横の登山口から徒歩10分くらいで、着きます。

  

 

  

拝殿西の回廊の御簾があげてあります。 そこからの眺めは抜群ですが、私の好きなのは、この回廊の吊灯籠のある風景です。 

  

燃えるようなもみじを従えるような灯籠の並びは、欄干のぎぼうしとともにいつ見ても趣のある眺めです。

 

      

回廊をゆっくり歩きながら、吊灯籠のある風景を、いくつもカメラに収めていきました。  ここでは多くの人が撮影をしていますので、人のいなくなった隙間を見つけての撮影です。

 

  

この回廊からは、もみじを堪能するほど眺めることができます。 まだここでも緑の葉が見られます。 足早に去っていく秋ですが、名残のもみじは、多武峯では楽しむことができます。

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十三重塔 錦の衣を纏って

2012年11月21日 | ☆ ふるさと・大和

  

 

明日香での蹴鞠会のとき出会った、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、この談山神社の裏山で、蘇我入鹿の暴逆を、何とかしようと話し合って、飛鳥板蓋宮で、入鹿を討ち取って中央統一国家という偉業を成し遂げた、大化の改新談合の地が、裏山の談らい山です。その伝承から談山神社は御祭神は藤原鎌足公です。

       

669年10月鎌足公の病が重いと聞いた天皇は、自ら鎌足公を見舞い後に藤原の姓を与えました。藤原氏はここから始まったのです。

鎌足公の没後お墓は、現在の大阪府高槻市に造られましたが、678年唐から帰国した長男定慧和尚が、鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立しました。妙楽寺というお寺としましたが、さらに701年方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置しました。

 

   

これが談山神社の始まりです。  談山神社由緒の栞から、一部省略しながら自分なりに理解したことを十三重塔の画像を、今回集めて、書いてみました。

   

談山神社の十三重塔が、今ここにあるそのルーツは、中央統一国家、文治政治の完成という偉業を成し遂げたことに遡るものとして、もみじの紅葉の中に建つ塔に、乱世からの一つの区切りとして改めて感慨深く眺めていました。

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