昨日の続きを更新しようとしていましたら、緊急地震速報が入りました。その後の情報が気になって、今夜の更新は取りやめにします。
どうか震源に近い方の大きな被害がありませんように。 7736
昨日の続きを更新しようとしていましたら、緊急地震速報が入りました。その後の情報が気になって、今夜の更新は取りやめにします。
どうか震源に近い方の大きな被害がありませんように。 7736
今年のあしびの会(大学同窓会)は登大路ホテルで開催されました。
開会まで少し時間があったので、学び舎だったところまでカメラを提げて出かけました。
現在のキャンパスは高畑町の方に移転していますが、私たちは登大路の裁判所・県庁の建物の建っている場所が、若いころの学び舎のあった場所です。そのすぐ近くの同窓会は、5分も歩かないうちに、当時の懐かしい日々にタイムスリップできるのです。
公園の木々の紅葉が進んで、様々な秋色に染まっていくさまは、当時とそんなに変わらない秋を、感じさせてくれます。
逆光の桜の木は葉を落として少なくなってきています。
今朝の落ち葉でしょう。道路わきの端の方に固まって、まだ誰にも踏みしめられない美しさを保っています。
思い出に浸りながら少し歩いて公園の木々の紅葉を楽しみました。
会場のホテルまで戻って、今歩いてきた方を、終わったらまた歩こうと眺めました。
学び舎はここになくても、こんなに恵まれたところで学んだことが、当時そんなに恵まれたところだという意識もなかったのがもっと他に惹かれるものがあったのだろと不思議な気がします。歳を重ねるにつれて、人生の出発点のような場所であることを、今つくづく思います。
続きます。 8741
串柿の里・四郷からの帰り 丹生都比売神社への、道路標識が見えたので、そんなに遠くないということで 丹生都比売神社へいきました。
昨年桜の頃に行ったことがあったのですが、桜の花の記事を時期的に優先してしまって、そのうちこの神社が遠のいてしまいました。
この機会にもう一度参詣したくて、紀の川べりでランチの後、 丹生都比売神社へお参りしました。
平成16年7月「紀伊山地の霊場と参詣道」の 丹生都比売神社境内として、世界遺産に登録されました。
輪橋と鏡池
撮影地点をもう少し後方に立てば鏡池に写る朱塗りの輪橋が、名の通り水面に輪になってその美しい橋の姿が映り込んだものをと
撮影の未熟さがこんなところにも表れてきて恥ずかしく思いました。
13年4月4日に初めてここに参詣した時の、鏡池と輪橋の写真がブログUPしないままに、フォルダーに置いてありましたので、ここで掲載します。
今から約1700年前、「天野」の地に創建されたと伝えられる丹生都比売神社。弘法大師空海が高野山を開くとき、この神に仏法の守護を願い、神々の山「高野」を借り受けたとされている。ゆえに、古来から高野山の鎮守社として知られ、空海を高野山へと導いた狩場明神(高野御子大神)が祀られ、高野山と密接な関係を保ってきた。紀伊国一之宮であり、日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社。(とっておきの街情報・和歌山編より拝借)
現在の本殿は、室町時代に復興され、一間春日造りでは日本一の規模で楼門とともに、重要文化財に指定されています。
参拝のあと境内を散策しました。境内の木々のすべてが晩秋の装いになって、赤、黄、褐色、その色合いが美しいうえに、足元には散り急いだ落ち葉が、歩く度にかさかさと靴音とのハーモニーを奏でます 。
クリックして大きい画像でご覧ください。
振り返ってもう一度鮮やかな朱塗りの輪橋と鳥居を眺めました。この正面からの神社を動画撮影されている二人の人がいました。
今週は予定がびっしりの忙しい週になっています。その中でポツンと空いたたった1日の今日、もうかなり前からぜひ行ってみたいと思っていた、串柿の里へ行ってきました。
この時期になりますと、TVで放映されます次wev上でも記事になったり、画像投稿があったりして、それらを見ていますとどうしても行って写真に撮りたい気持ちになって来ます。
念願叶って嬉しい日になりました。
はっとするような柿暖簾です。日あったりの良い傾斜地をうまく利用して、お正月用の縁起物の串柿作りの真っ最中です。
柔らかい初冬の日差しに茜色の柿が輝いています。
正面から見ますと、ほんとに柿暖簾という表現がぴったりです。
山深い土地の南斜面に吊るされて天日乾燥させていますので、谷の向こうの山が背伸びをしているように見えます。
道路に沿って吊るされているので、歩いても、歩いても、そのカーブの向こうにまだまだ続いているのは圧巻です。
時々顔を出す太陽の光が柿暖簾に透けてとても綺麗で、感動の声を揚げながらシャッターをきる幸せの瞬間です。
真下に頭を入れて背景の山と、手前に取り残された小さい柿を入れてみました。
この柿の根元から伐採しているのは串柿にあたる太陽を多く取り入れるためでしょうか。
それとも古くなった木の安全のためでしょうか。今私の視野に入った柿は天然の吊るし柿で,小鳥のために残して置いたものかしらなどと、勝手な想像をめぐらしています。
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県内では11月7日~24日まで「町屋の芸術祭 はならぁと」が開催されています。
五條新町エリアは、11月15日・16日「はならぁとぷらす」として参加しています。
軒に吊り下げられた茜色の布は、初冬の柔らかな日差しを透かして日ごろ見慣れた古い町並みが別の空間へと誘ってくれるような感じがします。
同じ茜色でも風の動きや太陽の明かりと影の部分や、吊り下げられた建物の、佇まい・連子格子・板塀・白壁など背景になる場所が変わるたび、布の醸し出す雰囲気が不思議な想像の世界を与えてくれるのです。布地は絹で、新町全体で約1300本を用いているそうです。
茜色ということにも意味があることをパンフレットで知ることができました。
この新町通には、元禄8年(1695)12月6日、大坂千日前の遊女三勝と心中して果てた赤根屋(文楽では茜屋)半七は新町通りで染物屋を営む半兵衛の息子でした。歌舞伎・人形浄瑠璃「艶容女舞衣」は、江戸時代にあった心中事件を元にした演目ですが、主人公「茜屋半七」こと赤根屋半七は、ここ五條新町の染物屋でした。
その茜や半七の屋敷跡の石標があります。
このアートの企画発案は、横浜美術大学クラフトデザイン研究室で、以前には町屋を使っての作品発表をして、町屋も生き作品も素晴らしく印象に残っています。
茜色の絹の揺れ動く街並みを自由な想像をめぐらしながら歩む、これも贅沢な時間を得ることのできた1日でした。
街並み伝承館で絵画展をしていました。
知人の作品が多く展示されていましたので、ゆっくりと鑑賞させてもらいました。