御茶ノ水にどうしてこんなに楽器店が多いのだろう。
やはり、学生街との関連だろう。今は大学・学生数
が少ないが昭和の時代、駿河台は学生だらけだった。
記録:御茶ノ水(神田駿河台)の楽器店(’17.8.5現在)ウッドマン、クロサワ楽器
下倉楽器、クロサワ御茶ノ水楽器センター、黒沢楽器店、AAAイワタ楽器、
イシバシ楽器、御茶ノ水楽器センター宮地楽器、BIGBOSS 御茶ノ水駅前店、
石橋楽器店中古ギター専門店、シモクラセカンドハンズPART1、アオキ楽器
東北本線の終着駅が上野駅。新幹線開業前はこのホームに
皆降り立った。そして、山手線で都内の支線に散っていく。
15番線ホームの真ん前に、丸い形状の啄木の歌碑があった。
碑文:『ふるさとの 訛(なまり) なつかし
停車場の
人ごみの中に そを聴きにゆく』 (啄木)
解説:啄木短歌の珠玉の一首である。在京東北人なら一度は
このような気持ちを持っただろう。冬雪のない上野駅に
雪を積んだ列車が滑り込む度に、泣き出したくなる衝動
を覚えたのは筆者も同じだ。いつしか行き交う訛言葉に
同化していく自分の姿が見える。此処は懐かしい心の駅。
(2013 紫陽花紀行 完 )
紫陽花の街鎌倉、スカイツリーの街浅草、今回の紀行は温泉とは
かけ離れているが地域、資源の確認の心は温泉資源の探査と通ず。
私達の日本はこうした素晴らしい地域のコト・モノで溢れている。
旅の最終はやはり上野駅、上野駅には独特な光、音、匂いがある
駅の片隅に歌手井沢八郎が歌った『ああ上野駅』の歌碑があった。
歌碑:一番{作詞:関口義明(雑誌懸賞作品一位)、作曲:新井英一}
『♪ どこかに故郷の香りを乗せて
入る列車のなつかしさ
上野はおいらの心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから始まった ♪』
記録:井沢八郎は青森県出身の、当時無名の新人歌手であった。
又、女優工藤夕貴は井沢八郎の長女である。
スカイツリーを隅田川、墨田区役所ビル、アサヒビール本社モニュメント
と同時に観察できる場所がある。浅草寺から歩いて15分くらいだろうか
吾妻橋の袂、河川公園沿いの絶好の観察ポイント、パワースポットである、
浅草寺仲見世の賑わいと誘惑を抜け混雑から解放された
場所に辿りついた。昭和二十年の空襲で焼失した伽藍が
鉄筋コンクリートとは思えない程見事に再現されている。
宗派:聖観音宗(元は天台宗)総寺格:総本山 本尊:聖観音菩薩(秘仏)
指定:国宝(法華堂)、重要文化財(二天門 他)
映像:向かって右が風神、左が雷神の守護像が鎮座する通称「雷門」
鎌倉から宿泊先の東京に戻り、一夜を過ごして浅草寺に
向かう。目的は浅草寺のお参りと、隅田川吾妻橋たもと
から見上げるスカイツリー。先ずは浅草寺雷門をくぐる。
映像:何十年振りで懐かしの天麩羅定食にありついた。涙がご飯にこぼれた。青春の味。
遠い、ほんと気が遠くなるほど遠い学生時代、お金もなく明大裏のパチンコ人生劇場の
景品ドストエーフスキー全集を抱え数メートル先の天麩羅いもやでお腹いっぱいになり
中央線経由で上石神井に帰る。そんな切ない思いでの「いもや」を漸く見つけた。いもや
は500m先の神田神保町に移転していた。この数十年間ズ~とこの天婦羅屋を探してた。
参照: 天婦羅定食(東京神田いもや)
映像:南新宿高島屋前空中歩道から都庁側を望む。街は綺麗な恋人色。
鎌倉長谷寺には東京を基地に出掛ける。品川駅から東海道線で鎌倉迄
行く。後は気分で江ノ電を使い鎌倉周辺を散策だ。東京は新宿に足を
伸ばしたがやはり南新宿。今も工事中だが新南新宿駅口が出来便利だ。
吾妻橋のたもとに東京の基礎を作ったとされる勝安芳(海舟)の銅像がある。
この場所は東京の新名所ともなっている吾妻橋界隈。建設は有志・一般の
寄付による。勝海舟と言えば、戊辰戦争時の江戸城無血開城の功績がある。
参照#勝海舟銅像がある墨田区うるおい広場方面「ツリースポット」
≪メモワール:東京23区 ニコライ堂2013.06.28 ≫
映像:コンドル設計のドーム型の屋根のロシア正教教会
お茶の水駅を降りて先ず、足が向くのが駿河台・神田方面。
下り坂なのと、明大など学生街の人の流れがそうなるのに
合わせがちどうしてもニコライ堂に向かないが今日は違う。
解説:聖ニコライが建設したことからニコライ堂の愛称で
呼ばれるのだが、正式名称は東京復活大聖堂である。
宗派:日本正教会 指定:国重要文化財(煉瓦造りで最古)
参照:函館ハリスト正教会