浅草寺参りのチョットしたポイントがこの大香炉。売店でお香を求めて
香炉で焼き煙を上げる。そして、頭に香煙を手繰寄ると無病息災となる。
宗派:聖観音宗 寺格:総本山 本尊:聖観音像(秘仏)
指定:国宝(法華経)、重要文化財(二天文、伝法院他)
ブログをご覧の皆様の無病息災も祈願しました
鎌倉の一番の観光名所と言えば、やはり大仏だろう。
いまでは全国どこでも大仏は珍しくないが、やはり
奈良の大仏と鎌倉の大仏が見る者を圧倒する。合掌。
宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来
寺格:光明寺(浄土宗関東総本山)末寺
指定:国宝(銅造阿弥陀如来坐像)
数値:像高11.3m、台座2.05m、重さ約124t
参考#情熱の歌人与謝野晶子は大仏を美男と詠んだ
映像:お湯の国日本を代表する景観の草津の湯畑滝口、下流に温泉街が続く
草津温泉のランドマーク湯畑のもう一つ魅力が、湯畑から圧倒的な迫力で
流れ落ちる『湯の滝』である。観光客は光泉寺から湯畑の全体像に驚愕し、
そして、湯畑を眺めて下り、この湯滝口で改めて草津温泉の温泉力に酔う。
二句謹呈 : 詠み人 筆者
一の句 『 地の淵に 漂う色香 草津の湯 』
二の句 『 訪ね来て 身浄める 薬湯の郷 』
映像:11月の温泉寺は去り往く秋の風情が残っていた。
下呂富士とも言われる山の中腹にある老舗旅館湯之島館をでる。
すぐ下方に、下呂温泉の守護寺「温泉寺 (おんせんじ)」がある。
下呂温泉と共に発展して来た古刹の境内は大勢の信者で賑わう。
2011.3.11東日本大震災から1年2ケ月が経った。昨年の大型連休は漠然とボラン
ティアに出掛けた。今年は、震災地の状況把握と自分で考えてのボランティアにし
ようと思う。ルートは昨年と逆の遠野市から入る。市街地の景勝地:メガネ橋にい
つの間にか『恋人の聖地』モニュメントが置かれていた。…この椅子に誰が座るん?
指定:土木学会推奨土木遺産、近代化産業遺産、「恋人の聖地(NPO地域活性化センター)」
参照#宮守川橋梁(メガネ橋)の全景
ここ湯河原温泉も自然景観が残されていた。日本中央部にありながらマイナス
イオンが降り注ぐ滝に多くの温泉観光客が訪れていた。温泉地にこうした散策
ルートが欠かせない。この滝の下流:千歳川沿に温泉旅館街が形成されている。
文学:湯河原温泉は多くの文人が立ち寄り、投宿、湯治をした温泉地。その中
朝日新聞の連載小説半ばで亡くなった夏目漱石が思い浮かぶ。漱石晩年
の作品「明暗」の一文の中の「・・・お午(ひる)から滝の方へ散歩においで
になりませんか・・・』の滝がこの「不動の滝」である、と言われている。
記録:落差15m、藤木川水系、滝左に身代わり不動尊、右に出世大黒尊が祀。
参照#多くの文人・墨客著名人が逗留した湯河原温泉の老舗旅館「上野屋」湯殿
日本女性の代表的美人:秋田美人小野小町は平安時代の女流歌人でもある。伝説では
晩年故郷の秋田に帰る途中、ここ新田夜烏の里(大崎市)に差しかかり、病に倒れて
、路傍で歿し、村人が憐れんで手厚く葬り、墓碑を建立してその菩提を弔ったという。
解説:小野小町の墓は全国各地にある。しかし、墓碑は江戸時代初期の仙台藩2代藩
主伊達忠宗の時代に建てられたもので、室町時代に編纂された「義経記」の中でも「
・・・昔、出羽郡司の娘小野小町と申す者が住んでいたという玉造・・・」との記載がある。
感想:真偽はともかく、この地域(玉造:現大崎市)には小野小町に関する地域の民の
信仰があり歴史的事実がある。この地は人が歴史を作り、歴史が人を創る典型である。
映像:いわき湯本スパリゾートハワイヤンズは優しさと優雅さ溢れる踊りの次元。
フラダンスの魅力は何だろう?「常夏の国の踊」だけでは現しきれない。リズムに
合わせ激しく腰を振るだけではないユッタリと表情豊かに、流れるような上半身の動き
・・・何気ない身振り、手振りに深い表現。特に手の「ハンドモーション」は全て意味がある。
指の緩やかな動き。手を丸く頭にかざす事で太陽、花、月などを表す。言葉で表せ
ない感情をこのように仕草で表現できたらどんなに素敵だろう。言葉は要らない、
ボディーランゲージの世界。・・・~魚になろう~鳥になろう~虫になろう~花になろう・・・
やがて愛を語る
映像:初雪の岩手山を背景に一本桜が去る秋を惜しむように佇む
秋田乳頭温泉郷へ盛岡経由で出かける。途中小岩井農場で感動の景観に遭遇。
北国の切ない季節の始まり。時には楽しく時には苦しい、冬はそんな季節だ。
小生が高校生の頃、こんな歌が流行った。
♪小さな日記に つづられた
小さな過去の ことでした
私と彼との 過去でした
忘れたはずの 恋でした ♪
小岩井農場の一本桜:岩手山を背景に農場に根を張る一本桜(樹種:エドヒガン)。
およそ100年前牛の放牧地時代、日差しから牛を守る日陰樹として植栽
映像:石川啄木記念館の寓居前に、妻節子の真新しい歌碑が建っている。
『この船は
海に似る瞳の君乗せて
白帆に紅の帆章したり』 (石川節子)
啄木の資料を整理し、妻の歌碑を発見。今までその存在に目を向けなかった事を深く反
省。自らも肺を病み幼子を抱え、文無しの啄木に従う生活は如何ばかりか。この歌碑を
詠んで妻節子の素晴らしさを理解できた。この妻が居たから珠玉の作品が生まれたのだ。
天才‣偉人には恐妻・悪妻が多いのが世の常、身近な夫の偉大さを見失う所に夫婦連れ
合の悲劇がある。妻節子はシッカリと啄木を理解し支えた。しかし二人とも27歳で生涯
を閉じる早死であった。美人薄命、天才若死とはこの事也。石川節子という女性に感動。
解説:啄木が文学を志し始めた頃を歌ったのだろう。『海に似る瞳の君乗せて』の表現
は夫の才能を信じ、世間に認められる作家となる様願う、深く愛する心情が伝わる。
参照:石川啄木夫妻写真
台温泉街の散策地、散策路を台川上流へとゆるゆる歩くとやがて大きな球岩盤に清水が
ひろげられた様な滝に遭遇する。一寸とした休憩処があり湯疲れを癒すには絶好の場所。
鄙びた台温泉は花巻温泉と違い奥手にこの様な昔の保養温泉地の面影が残る場所である。
記録:高さ約8.5m、幅30m、北上川水系瀬川
雪に埋もれた石像は鳥居の方角を見ていた。人生は物語。皆それぞれ語るものを
持っている。いまは湖面へと続く道しかないが、この御座石神社もい年月で沢山
の事象がある筈。雪に残る足跡の持ち主はどんな物語で湖畔に佇んだのだろうか。
山形県の山里は町で散り始めた頃、見ごろとなる名物桜が多数ある。釜越の桜、地蔵堂
桜、そしてこの12の桜、みな地域の人の春の楽しみとなり一本の桜の木の下に集い、手
料理でお花見などを楽しむ。 そんな長閑な山里の桜の鑑賞地点がこの地域に点在する。
羽州街道を北上。七ケ宿の宿場はずれに変わった地蔵があった。なんと振袖姿の地蔵。
その昔、佐竹の殿様(秋田藩)がこの宿場で娘を見初め、数年後この地を訪れ娘の行方
を問うたら既に亡くなっていた。美人薄命、娘を偲んで建てた振袖地蔵。美人地蔵也。
羽黒山中に入る。標高414mの麓にあるのが霊塔の五重塔。随神門をくぐり、神橋を
渡り、須賀の滝を眺め杉木立のなかにやがて国宝羽黒山五重塔が現れる。残雪の中、
歴史を感じさせる建造物にしばし見とれる。神域に五重塔がある、神仏混淆の名残。
・・・出羽三山、羽黒山の独特な山岳・山伏信仰が窺える。ここも又、祈祷パワーの地。
奥の細道:漂泊の俳人松尾芭蕉が立ち寄った修験の場、ここでも名句を残している。
『 涼しさや ほの三日月の 羽黒山
雲の峯 幾つ崩れて 月の山
語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな 』 (芭蕉)
社格:出羽神社末社 祭神:大国主命 指定:国宝(羽黒山五重塔)