善光寺境内は陽光溢れていたが、寺院の中は反面闇であった。明と暗とはこの事。
一隅に閻魔大王の像があった。光を背負いまるで地獄と天国の境目で私を審問す
るかの様。無の境地我に悪心無し格子から射す光に導かれる如く現世に立ち返る。
善い光の寺を体現した一時、此処は善光寺なり。ゆっくりと黄泉の舘を離脱する。
裏磐梯五色沼を代表するのが、赤沼、青沼。赤沼が源泉だが、この青沼の色彩は際立つ。
世界遺産白神山地の『青池』を想起する。青池は小さい、吸い込まれる鉱物的蒼色だが、
青沼は淡いブルー。どちらも優劣はつけがたいのだが、あるがままの自然の藝術の結果」。
参照#①世界遺産白神山地「青池」 ②北海道美瑛岳山麓「青い池」
♪汽車の窓から ハンケチ振れば 牧場の乙女が 花束なげる
明るい青空 白樺林山越え谷越え はるばるとララ・・
ララ・・・・・・・高原列車は ララ・・・ 行くよ♪
別にこの歌の年代ではないが脳髄のどこかに記憶がある。歌の発祥地が中ノ沢温泉だ
そうな。映像の碑はその事を物語る。幼稚園の傍らにあった。磐越西線の川桁駅から
中ノ沢温泉の入り口沼尻駅を結ぶ沼尻軽便鉄道がモデル。作詞家 丘 灯至夫の故郷。
因みに作曲は古関 裕而 。石碑はピカピカの御影石、良く見ると、車体が写っている。
そう、小生の温泉探査号、ヴォクシーNO1126号。現代は高原列車ではなく車で
訪れる。この寂れた温泉地の再生、活性化の種はこの『高原列車』でないのか?石碑
に封じ込めることなく、そこここに活かすべし。
※あなたの高原列車は今どこを走っていますか?どこに封じ込めていますか?
≪メモワール: Power Spot 殺生石と千体地蔵(2005.9.17)≫
映像:硫化水素ガスが立ち込める瓦礫場と、千体地蔵たちに圧倒される。
その名の通り、生けるものがないという瓦礫場。名湯鹿の湯上方にある。
そして殺生石を取り囲み封じ込めるが如く地蔵群。霊場というには狭い
がこの空間の独特な空気に取り込まれる。ここも、霊パワーが出ている。
参考:奥の細道で立ち寄った松尾芭蕉と弟子曾良は、下句を残している。
日誌:『殺生石は温泉の出づる山影にあり。石の毒気いまだ滅
びず、蜂、蝶の類い真砂の色の見えぬほど重なり死す』
俳句:『 石の香や 夏草赤し、露あつし 』
解釈:一面、硫黄温泉の臭いが充満し、草木や虫共の赤くなるほど
屍骸が積み重なり、気のせいか露草まで熱いほどの毒気漂う。
参照#①松尾芭蕉(奥の細道)探訪紀行 ②鹿の湯(栃木県那須湯本温泉)
石川県白山峰の麓、中宮温泉のにしやま旅館にお世話になり、山頭火と出会った。
ここでも山頭火らしい句が掲げられていた。千人風呂とは石川県には見られない
が屹度温泉の表現が面白いので湯船に掲げたのだろう。混浴文化も影響している。
句文:千人風呂 ちんぽこも おそそも 湧いて溢れる湯 (山頭火)
解説:なんておおらかな表現だろう その通りだ。健康的な混浴を詠んだこの句
は数多い山頭火句の中でも傑作の部類。この句で青森県酸ヶ湯温泉が思い
浮かぶ今では男女に仕切りが設けられているが嘗てはこの歌の通りだった。
参照#① 中宮温泉にしやま旅館
② 種田山頭火(放浪の俳人)探訪紀行
③ 青森県酸ヶ湯温泉の混浴大浴場「千人風呂」