お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

安部城温泉(青森県:下北半島)

2015年08月09日 |  💜青森忘れじの湯

特別公開:下北半島川内渓谷沿いにある幻の安部城温泉隠し湯 (2007年撤去確認)

映像:川内渓谷崖に設置された秘密の湯船(2006年探査)

今から9年前のことである。全国の温泉マニアの間で口伝えで『幻の温泉』と知
られていた安部城温泉。すでに共同浴場が廃止されて、筆者もなんとかこの幻の
温泉に入りたく周辺を探査したらなんと川内川崖下に密かに湯船が作られていた

【DATA】 含芒硝ー石膏泉 39.5℃ pH 7.5 600L/min   源泉:新田1号泉
浴感: 噂通りであった。ものすごい湯量に圧倒されながらも程よい湯温、無色
    透明、炭酸味、赤湯花、金気臭、温め…温泉のエキスが全て込められた
    一湯である。湯船(廃ポリバス)を設置した人に感謝し秘湯を味わった。  

後日: 本施設はその後訪問したら跡形も無くなっていた。同時にその後青森県
    ではこれも秘湯で知られる「隠れ河童の湯」が破壊・撤去された。悲しい。
参照# 今は面影も無い在りし日の「隠れ河童の湯」(下北半島薬研温泉)野湯景観

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島原藩武家屋敷(長崎県)

2015年08月07日 |  🏰城郭史跡探訪

何処の城下町でも武家屋敷がお城を取り囲むように存在する。
島原もお城の堀割近くにその遺構が残されている。今直住ん
でいる生活感あふれる場所だ。あの、吉田松陰も訪れている。

解説:本州の武家屋敷は板塀が主であるが、さすがに南岸沿
   い台風襲来から石垣塀で頑丈になっているのが特徴だ

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島原城址 (肥前国 島原藩)

2015年08月06日 |  🏰城郭史跡探訪

映像:復元(1964)された島原城
   (明治政府は廃城とし天守閣他建屋を破壊、本丸は畑地となる)

島原は悲しい歴史を背負ってる。その歴史の発端となったのが島原城だ。
石高四万石にしては堅牢勇壮な城である。この城を作るため領民に過大
な年貢
を課した。その意味で、封建時代の縮図とも云える島原城の姿だ。

城郭:連郭式平城 城主:松倉氏~松平氏 遺構:石垣、堀
石高:島原藩6万5千石(最終高) 家紋:重扇(かさねおうぎ)
指定:市指定史跡、日本百名城(指定91番)

解説:島原地方はキリシタン大名有馬氏が治め、豊臣方から徳川方に寝返
   って領地保全していたが不祥事が発覚し移封・死罪となる。徳川方
   の松倉氏に変わって
、悪政・圧迫の政治が後の島原の乱を引き起こ
   すこととなった
。島原には有馬、有家の地名が残る。

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平成新山の火(島原市)

2015年08月05日 |  ✈ 九州・四国紀行.
映像:島原港の一角にある平成新山の火の鎮魂灯火

長崎県島原市に上陸。海路での島原半島は初めてだ。
記憶に新しい雲仙普賢岳の噴火でできたのが平成新山
その溶岩から採取した火は犠牲者を慰霊する為の灯火
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雲仙普賢岳(長崎県島原半島)

2015年08月04日 | 💿日本百名山・私的

映像:高速双胴船上から撮影した島原半島、右が天狗山、左が雲仙普賢岳

ようやく最終目的地が視界に入ってきた。島原半島雲仙普賢岳である。
1990年雲仙普賢岳火砕流で44名の報道・警備の方々が命を奪われた
海上からその威容を目の当たりにし、改めて温泉と火山の相関を実感

記録:標高1,483m 種類:成層火山・溶岩ドーム

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三池島原ライン(福岡県大牟田 有明海)

2015年08月03日 |  🚐交通乗物探訪

映像:三池港から出港する高速双胴船「しまばら」(所要時間50分)

いよいよ大牟田三池港から雲仙・島原半島に向けて
海路を渡る。島原市は長崎県の東端半島なので陸路
では遠回り、最短を高速双胴船で渡るのが合理的だ。

解説:三池港はいまではこの様な観光船の発着だが、
  明治大正、昭和初期は産業振興の基地であった。

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