友人と話をしていました。
彼女は、最近「思い出箱」を作ったそうです。
「実家を壊したとき、実家の航空写真の処分を思案した末、それも自分の『思い出箱』に入れた」と言っていました。
そして、「私が亡くなったとき、『思い出箱』に入っているものを棺に入れてちょうだいね」と、自分の娘に話してあるそうな。
彼女の「思い出箱」には既にいろいろなものが納められていることでしょう。
さて、私は・・・と考えた時、二つの理由で私は「思い出箱」を作る必要はないと思いました。
一つには、あの世で、その品々が私の心を慰めてくれるものとなるとは思えない。
というか、あの世があるのかさえも私にはわからないのですが、あの世が思い出に執着するほど現世を引きずるものだとは思えない。
あの世がそうであったらいい、この世から自由になりたいという願望でもあります。
もう一つは、「思い出」は、生きていればこそ必要なものなのです。
私にとって大切な思い出の品はたくさんあります。
が、主がいなくなった品々は、主のないものになるわけで、主以外の人間にとっては処分の対象でしかありません。
価値のないものは適当に処分してもらったらいいのです。
結局、私の棺には少しばかりの花だけで充分だと思っています。
思い出は脳裏に焼き付いたものだけでよいのです。