市内循環バスの「破石町(わりいしちょう)」で下車すると、バス停の脇のホテルの駐車場から「頭塔」が西側に見えます。
急ぐ旅でもないので、南側に回り、仲村表具店(※現地管理人は仲村表具店で、電話は0742-26-3171)の奥さんに鍵を開けていただき(1人300円)、頭塔の周りを散策することにしました。
いただいたパンフレットには以下のような説明がありました。
「頭塔は東大寺南大門の南約950m、新薬師寺から西北西約700mの位置に築かれた方形七段の土塔です。古くから奈良時代の僧玄の頭を埋めた墓との伝説があり、その名の由来とされてきましたが、本来の土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)となったものと思われます。
神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が土塔を築いたと古文書の記録にあります。それが頭塔にあたり、その役割は五重塔などと同じように仏舎利を納める仏塔と考えられます。」
頭塔北面
以前見た時は、このような瓦がなかったという気がします。きっと風化を防ぐ目的なのでしょう。
◆以下は「頭塔の石仏」(上:写真)説明文からの引用
方形基壇の上に方形七層の階段状土壇を築いた頭塔は、第一・三・五・七の奇数段四面に各11基ずつ総数44基の石仏が整然と配置されていた。現在までに44基のうち28基が確認され‥。
頭塔石仏は、数少ない奈良時代の石仏としてきわめて貴重な遺例であるが、諸仏に対する廬舎那仏の優越性を示すその立体曼荼羅的な配置は東大寺廬舎那大仏と並ぶ天平仏教の壮大な理念を示す遺構としてさらに重大な意義がある。
急ぐ旅でもないので、南側に回り、仲村表具店(※現地管理人は仲村表具店で、電話は0742-26-3171)の奥さんに鍵を開けていただき(1人300円)、頭塔の周りを散策することにしました。
いただいたパンフレットには以下のような説明がありました。
「頭塔は東大寺南大門の南約950m、新薬師寺から西北西約700mの位置に築かれた方形七段の土塔です。古くから奈良時代の僧玄の頭を埋めた墓との伝説があり、その名の由来とされてきましたが、本来の土塔(どとう)がなまって頭塔(ずとう)となったものと思われます。
神護景雲元年(767)に東大寺の僧実忠が土塔を築いたと古文書の記録にあります。それが頭塔にあたり、その役割は五重塔などと同じように仏舎利を納める仏塔と考えられます。」
頭塔北面
以前見た時は、このような瓦がなかったという気がします。きっと風化を防ぐ目的なのでしょう。
◆以下は「頭塔の石仏」(上:写真)説明文からの引用
方形基壇の上に方形七層の階段状土壇を築いた頭塔は、第一・三・五・七の奇数段四面に各11基ずつ総数44基の石仏が整然と配置されていた。現在までに44基のうち28基が確認され‥。
頭塔石仏は、数少ない奈良時代の石仏としてきわめて貴重な遺例であるが、諸仏に対する廬舎那仏の優越性を示すその立体曼荼羅的な配置は東大寺廬舎那大仏と並ぶ天平仏教の壮大な理念を示す遺構としてさらに重大な意義がある。