(“flickr”より By gullevek http://www.flickr.com/photos/gullevek/156532134/)
【長引く国境紛争】
世界遺産登録されたクメール寺院プレアビヒア周辺の領有権を巡ってカンボジアとタイが対立している問題についてはこれまでも取り上げてきたところですが、お互いの国内事情、特にタイの場合はバンコクでの首相府占拠という反政府活動が収まっておらず、不用意な妥協は政府攻撃の火種になりかねないといった事情もあって、7月の問題発生以来、あまり進展してきませんでした。
カンボジアのフン・セン首相とタイのソムチャイ首相は10月24日、アジア欧州会議(ASEM)出席のため訪問中の北京で初めて会談し、双方はこれ以上の軍の衝突を避け、対話による平和的解決を目指すことで一致しました。
“会談で両首脳は、国連や国際司法裁判所などの第三者機関に仲介を依頼せず、2国間で協議を継続して解決策を模索することで合意。また、国境の係争地帯に展開する双方の軍に発砲しないよう指示する一方、両軍の幹部レベルによる会議を11月にも開催する方向で調整することでも一致した。”【10月24日 朝日】
そして、今月10日、両国政府代表による合同国境委員会がカンボジア・シエムレアプのホテルで始まっています。
合意が得られれば、明日12日にも両国外相が共同発表する予定と報じられています。
タイ政府筋によると、領有権については当面棚上げし、軍事衝突を当面回避するための打開策で合意する見通しだとのことですが。【11月10日 朝日】
そんななか、“魔除け”のスカーフや仏像を携帯するカンボジア兵士の様子が紹介された面白い記事がありました。
****タイ軍の近代兵器に魔除けグッズで対抗、カンボジア兵士****
世界遺産「プレアビヒア寺院」遺跡周辺の領有権をめぐるカンボジア、タイ両軍の対峙が銃撃戦へと発展して数週間が経つが、カンボジア軍の兵士たちは、「装備はタイ軍が勝るが、自分の身はピンク色の『魔法のスカーフ』が守ってくれる」と自信たっぷりだ。
「タイ軍は近代兵器を持っているが怖くない。お守りがあるから」と話すのは、頭に魔除けのスカーフを巻き、お守りの入ったベルトを締め、小さな仏像2体を携帯する28歳の兵士。「旧ポル・ポト派(クメールルージュ)の残党と数え切れないほどの戦闘をしたけれど、危険な目に遭ったことは一度もないよ」と魔除けの力に信頼を寄せる。
7月に国境沿いで始まったタイ軍とのにらみ合いでは、装備で圧倒的に優位に立つタイ軍に対し、カンボジア軍兵士らは自国の護身の風習にならって仏像を身に着け、魔除けの呪文を体に入れ墨した。カンボジア軍では司令官からも、仏僧がまじないをかけたという魔除けの印を描いたスカーフが配られた。
お守りや護符を持つ習慣や迷信は、世界中の兵士に共通して見られるものだが、1998年まで何十年も続いた内戦で戦闘に慣れきったカンボジア軍兵士たちが絶対的に信用するのは、護身の入れ墨と魔法のシンボルだ。タイ軍が野営する丘の下で待機していた別の兵士は「戦闘中、こうした魔法がぼくの命を救ってくれると100%信じている」と語った。
兵士たちと異なり、カンボジア政府には、自国領の防衛を魔法に頼ろうという意志はないようだ。国境をめぐる対立が続くなか、政府は国内の困窮状態にもかかわらず、次年度の軍事費を5億ドル(約500億円)へと倍増することを決定した。
それでも、10月の戦闘中に自分の司令官を亡くした38歳の兵士は、それ以来、いっそうお守りの力を信じるようになったと言う。「司令官も魔除けを持っていたが、仮眠を取ろうとしてそれを外したんだ。銃撃戦が突然始まったときには、魔除けを着けなおしている暇はなかった。だから、死んでしまったんだ」。
駐留するカンボジア軍兵士のため、これまで数え切れないほどの魔除けベルトを作った紛争地域内にある寺院の院長は、「お守りに弾除けの効果があるかどうかは分からない」と首を傾げる。
しかし、10月の戦闘中に、奇跡のようなことが起きたのは確かなようだ。院長は続けてこう言った。「(10月に)戦闘が始まったとき、わたしは僧たちの寝所にいたが、まるで脱穀するときのもみ殻のように寺院中を弾が飛び交っていた。それでもわたしたちのいた寝所には、一発も当たらなかった」。【11月10日 AFP】
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【御守りに懸けた願い】
“お守りや護符を持つ習慣や迷信は、世界中の兵士に共通して見られるもの”と記事にありますが、“お守り・魔除け・まじない”というものは、別に兵士に限らず人類文化に一般的な現象です。
いくら兵器で遅れているカンボジア軍兵士と言えども、お守り・魔除けさえあれば身を守れると考えている訳でもありません。
戦いにおいて、兵器の質・量、兵員数などが決定的に重要であることは彼らとて当然に認識しています。
しかし、戦場という生死を分かつ極限の場においては、どんなに装備を充実させても、どんなに用心しても、どんなに勇敢に戦っても、突然の死を避けることはできません。
そのとき、どうして隣にいた友人が死に、自分が生きているのか、あるいはその逆なのか・・・人間の力ではいかんともしがたいもの、それを偶然と呼ぶか、運命と呼ぶかはともかく、人間の力を越えたものに翻弄されていることを痛感します。
そうした無力感から人間を幾分でも救ってくれるのが、お守りであり魔除けなのでしょう。
古今東西の人類の生活のあそこそこで見られるお守り・魔除けもまた、そうした人間の力ではいかんともしがたいものへの人々のささやかな対応・願いであると言えます。
一日も早く、カンボジア兵士が魔除けのスカーフを手放せる日がくることを願います。