(インドネシア領西ティモールのベルー県の東ティモール難民キャンプ 2000年頃の写真ですので、東ティモールへの帰還に関する手続きの様子でしょうか。 “flickr”より By dlumenta http://www.flickr.com/photos/dlumenta/1557970061/)
【「東ティモールは自分の足で立たなければならない】
東ティモールは、16世紀前半から約400年にわたり支配したポルトガルが1974年主権を放棄、独立をめぐる内戦となり、1976年には軍事進攻した地域大国インドネシア(スハルト政権)に併合され、20年以上に及ぶ独立闘争に突入しました。
しかし、インドネシアのスハルト政権崩壊後、情勢が変化します。
「独立」かインドネシアとの「統合」かを問う住民投票が1999年に行われ、8割近くが独立を支持。
「独立」に反対するインドネシア国軍及びこれに協力する民兵らによって更に多くの犠牲を強いられましたが、国連の暫定統治を経て2002年5月に独立を果たし、21世紀最初の独立国となりました。
今年は5月は独立10周年にあたりましたが、今年末には国連が撤退を開始するため、東ティモールは自立へ向けた新たな国家建設の時代を迎えています。
****東ティモール:独立10周年の記念式典****
21世紀最初の独立国・東ティモールの首都ディリで20日、インドネシアからの独立10周年の記念式典が開かれた。治安維持を担う国連東ティモール統合派遣団の撤退を年末に控え、国民に団結の必要性を訴え、国際社会に自立への意欲を示す節目の日となった。
独立記念式典に先立ち20日未明、4月の大統領選で勝利したタウル・マタン・ルアク新大統領の就任式が行われた。ルアク氏は式典を前に毎日新聞の書面インタビューに対し「自力で全責任を負う時がきたと信じている」と自信を見せた。就任式でも「紛争で無駄にする時間はなく、国民全てに変革への貢献が求められる。豊かで安全な未来に向かって団結しよう」と協力を訴えた。
東ティモールでは、1967年のインドネシア占領から2002年の独立までの間、インドネシア軍などの残虐行為で約20万人が犠牲になったとされる。
インドネシア軍など加害者への処罰が放置され、被害者らが「正義の実現」を求めている問題について、ルアク氏は「必要性は完全に理解している」としたが、「『過去を基に未来に進む』が私のメッセージ」とだけ回答。インドネシアとの関係を重視する歴代首脳も解決に消極的な姿勢を続けており、進展は難しいとみられる。
また、都市部で失業率が4割に達するなど国民の不満が高まっていることについて、ルアク氏は「貿易や産業振興、インフラ整備などへの投資を促進し、雇用創出のためのあらゆる努力を進める」とした。
ルアク氏は前国軍司令官でインドネシアからの独立闘争をシャナナ・グスマン首相らと共に戦った元ゲリラ兵士。
20日未明から続いた両式典にはインドネシアのユドヨノ大統領、ポルトガルのカバコシルバ大統領らが出席した。【5月20日 毎日】
**********************
この10年については、インドネシア国軍及びそれに協力する民兵による破壊行為によって荒廃した「何もない状態」からのスタートでしたが、国家の体裁も次第に整い、何よりも治安が改善してきており、一定に評価されています。
しかし、石油と外国からの援助に依存した経済を自立させていくためには、課題も多く存在しています。
“援助慣れ”した現状への批判もあります。
****自立・経済、課題は山積 東ティモール、独立10周年式典****
・・・・18万3千人以上とされる、インドネシアとの独立闘争などの犠牲者に黙祷(もくとう)がささげられ、ルアク大統領は経済を多様化し、外国と石油への依存度を低減する必要性を指摘した。
これに先立つ就任式では「かつて血と闘争心が求められた時代があった。今日求められているのは汗と勤勉さだ。東ティモールは自分の足で立たなければならない」と、国民に訴えた。(中略)
この10年間の歩みを振り返り、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)のハク代表は「何もないところから国家建設が始まった。今や国の機関や制度が発展し、東ティモールは成長した」と評価する。地元のあるジャーナリストも「人々が避難民となり、テント暮らしをしていた光景も今は昔。治安が良くなり、自由ももたらされた」と述懐する。
だが、現状と将来の課題は山積し「国の歳入の9割以上を石油関連収入に頼り、産業と雇用の創出が進んでおらず、工場もない。独自の通貨もなく、使われているのは米ドル。自立への取り組みを強めていかなければならない」と話す。
独立からこれまで、インフラ整備を含む国家の基盤を、国際社会の支援により整えてきた東ティモールの国民は、「のんびりした性格に加え、援助慣れしていてハングリー精神に欠ける」(消息筋)という声も聞かれる。そこに人材育成の難しさが潜んでもいる。
約106万人の国民が政治の指導者と一体となり、国際社会からの支援を貪欲に生かすことが、自立への“近道”といえるだろう。【5月21日 産経】
***********************
【「いつか故郷へ戻ることを夢見ながら、インドネシア国籍所有者として前へ進もう」】
経済の自立と並んで、東ティモールが抱える(あるいは、置き去りにしている)大きな問題に「西ティモールの難民」の存在があります。
****西ティモールの難民****
西ティモールには、インドネシア国軍に協力した併合派民兵やその家族、国軍に強制移住を強いられた住民ら26万人の難民がいた。
帰還事業を進めた国連は02年末、大半の帰還が完了したとして難民資格の取り消しを決定。インドネシア政府は、西ティモールに残る約2万人の難民にインドネシア国籍を与えた。
難民問題について、インドネシア政府は解決済みとして放置。東ティモール政府は「すでにインドネシア国民」として関与しない。【5月31日 毎日】
*****************
****東ティモール:併合派元民兵「祖国で死にたい」 寝返りと殺りく、隣国で悔いる日々****
5月20日に東ティモールは独立10周年を迎えた。しかし、隣接するインドネシア・西ティモールには、今も独立前に国外に逃れた「元難民」2万人以上が暮らす。過去の犯罪が原因で故郷に戻れず、支援も途絶えた「忘れられた難民」が暮らす村を訪ねた。
東ティモールとの国境付近の町アタンブアから山道を車で約2時間。スリット村に着いた。独立が決まった1999年8月の住民投票後、独立支持派の住民からの迫害を恐れて祖国を離れた併合派の元民兵とその家族計約370人が住む。
「自分の命令で多くの独立派兵士を殺害したが、過去の罪を償って故郷に戻り、家族と暮らしたい」と、元民兵のリーダー、ベルナルディーノ・ダ・コスタさん(53)は話す。
東ティモール南部のホラルア村出身。当初は独立派ゲリラとしてジャングルで戦い、戦闘で右目の視力を失った。東ティモール独立の英雄で元ゲリラのグスマン現首相と行動を共にしたこともある。
しかし、その後、併合派に寝返った。独立派内の勢力争いが原因で、実弟が独立派に拷問され、惨殺されたからだ。復讐(ふくしゅう)を誓い併合派の民兵組織に加わり、今度は独立派を相手に暴れまくった。その残虐さからティモール人の言語で独眼を意味する「マタン・イダ」の異名で恐れられた。
竹を編んだ壁にヤシの葉で屋根をふいた。すき間だらけの家で暮らす。電気も水道も無く、年収は年間約600万ルピア(約5万円)。畑で取れたトウモロコシとキャッサバが主食で「コメや肉はほとんど口にできない」という。子供たちは慢性的な栄養失調状態だ。インドネシア政府からの支援も途絶え、貧困にあえいでいる。
ダ・コスタさんには、重要犯罪者として起訴状が出ている。帰国すると逮捕される可能性が高いうえ、住民からリンチに遭う危険もある。「それでも、最後は東ティモールで死にたい」と話す。
故郷への思いが募り2010年、帰還を支援する民間団体が用意したビデオカメラの前で謝罪した。その団体が謝罪ビデオを故郷ホラルア村に持参し、住民に「和解」と「許し」を請うた。しかし、住民の反応は冷たかった。「戻ったら命の保証はないぞ」
東ティモール全土で99年の住民投票前後、インドネシア国軍や併合派民兵が、独立派住民を殺害。犠牲者は1万4000人に上った。村人の恨みは消えていなかった。
スリット村で、すでに帰郷を諦めた元民兵に会った。ダ・コスタさんの部下だったベンジャミン・サルメントさん(52)は2000年9月、故郷ホラルア村に戻った。しかし、恨みを持つ住民に捕まり国連警察に逮捕された。有罪判決を受け、6年間収監された。
「大きな過ちを犯したあなたを絶対に受け入れない。監獄で死ぬべきだ」。国連の仲介で面会に来たホラルア村に残る妹夫婦に、こう告げられ、帰郷の望みは絶たれた。
帰還を支援する民間団体のチャールス・メルクさん(27)は「彼らは加害者と同時にインドネシアによる侵略の被害者。両国は帰還実現のため、和解の促進に向けて協力すべきだ」と話した。【5月31日 毎日】
**********************
いろんな事情で東ティモールに帰れなくなった人々の心情は、「強い望郷の念と、インドネシア人としての再定住という現実のはざまで今も揺れている」とも言われていますが、定住に向けたコミュニティーづくりの取組も行われています。
****故郷に忘れられた私 東ティモール独立10年****
インドネシアから独立して10年となる東ティモールに望郷の念を募らせている人たちがいる。独立をめぐる騒乱で故郷を離れ、そのまま帰れなくなった人々だ。
■騒乱逃れて 今は隣国の「新住民」
「私は忘れられた人間なのです」
東ティモールとの国境から約20キロのインドネシア領西ティモールのベルー県にある公共集落で、イネス・マリア・ソアリスさん(37)が悲痛な表情で訴えた。ソアリスさんは、東ティモールにある故郷を13年前に離れてから、一度も帰れていない。
東ティモールの独立が決まった1999年の住民投票後、反独立派民兵らによる虐殺などの騒乱で25万人以上の東ティモール人が国境を越えた。民兵らに強制移送されたか、身の危険を感じて逃れた人が多く、難民キャンプに収容された。
独立を支持した大多数は、治安の回復とともに母国へ戻った。だが、「インドネシアへの統合」を支持した2割強の住民の一部は、西ティモールにとどまった。多くは虐殺に関与したことへの報復や起訴を恐れたためだ。中には民兵に強制されて統合に投票した人もいる。ソアリスさんもその一人だ。
帰還を支援してきた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2002年末で難民資格の取り消しを決定。地元民から「新住民」と区別して呼ばれるソアリスさんは現在、貧困層に属する「インドネシア人」だ。インドネシア政府は残った難民に国籍を与え、家を与えるなどの「再定住政策」を進めている。
ソアリスさんの夫は生活費を稼ぐためマレーシアへ行き、消息が途絶えた。子供5人のうち2人は、姉に引き取られるなどして別居している。「長く故郷を離れて暮らし、家族は崩壊してしまった。故郷の両親や親戚に顔向けができない」と嘆く。
9年前に難民キャンプを出たソアリスさんはいま、国軍が設けた貧困層向けの集落で暮らす。舗装されていない砂利道を上った山奥にある家には乾期の今、粗末な木の壁とトタン屋根の隙間から強烈な日差しが入る。8畳ほどの1間にベッドが一つ置かれ、子供と4人で重なるようにして眠る。
民間団体による07年の調べでは、国境に近いベルー県だけで、インドネシア国籍を持つ新住民は1万6400世帯、約7万3千人にのぼる。
■帰れぬ人々 ここで前進するしか
帰還を強く希望する人のための支援も、細々とながら続いている。昨年は25世帯67人が帰還した。いまのところ、脅迫を受けたり西ティモールへ逃げ帰ったりしたという問題は起きていないという。
東ティモールには「元民兵だけは許せない」との感情が今も強い。
ソアリスさんと同じ集落に住む男性(49)は独立前、現首都ディリで知られた反独立派民兵だった。騒乱のなか、民兵司令官に「3日間だけ西へ逃れろ」と命じられ、9人をもうけた妻と別れたまま、別の女性と結婚、子供1人がいる。狭い家にはキリストのカレンダーがかけられ、ポーカーをした後のトランプが散乱していた。
ディリのこの男性の実家近くに住む女性は「元民兵の彼を歓迎する人はいない」と突き放す。「一般人」も元民兵との血縁関係などが絡み、それぞれ帰れない事情を抱えている。
インドネシアの民間支援団体「CISティモール」のウェンデリヌス・インタさん(36)によると、多くの新住民は「強い望郷の念と、インドネシア人としての再定住という現実のはざまで今も揺れている」という。
東ティモール南部出身の805人は05年、ベルー県の村に14ヘクタールの土地を買った。かかった8300万ルピア(約70万円)は全176世帯で出し合い、地主9人との交渉や行政手続きなどはCISなどが助けた。土地と家があれば精神的に落ち着き、地元民との融合が進むことを狙う。
インタさんらは女性に期待する。「女性は近所づきあいがうまく、子供を通した集まりにも積極的なので効果が出やすい」と、織物や菓子を地元民に売ることなどを勧めている。
今も建築が進む集落は、故郷の花からハリフナン村と名付けられた。子供3人と妻と暮らすリーダー的存在のベルナディノ・グテレスさん(52)は「いつか故郷へ戻ることを夢見ながら、インドネシア国籍所有者として前へ進もうと呼びかけた」と話す。
7日には東ティモールで総選挙が行われる。国籍がなく投票もできないが、新住民たちの関心は非常に高い。東ティモールの国営テレビが映るため、選挙運動などのニュースを毎晩、集まって見ているという。「でも、我々のことを話す候補者はいない。忘れられていると実感する」。グテレスさんは、そうつぶやいた。 【7月3日 朝日】
***********************
殺戮に加担したことへの憎しみは消し難いものがありますが、大虐殺を経て国民統合に歩み出しているルワンダのような例もあります。ルワンダではカガメ大統領の強いリーダーシップが大きな要素となっていますが、具体的な方策としては、“ガチャチャ”と呼ばれる地域に根差した簡易裁判で虐殺加担者を裁きました。
(2011年5月18日ブログ“ルワンダ 大虐殺を裁く、草の根レベルの裁判制度「ガチャチャ」”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20110518)
もちろん、ルワンダのガチャチャなどの取り組みにも多くの問題点もありましたし、また、報復を恐れて国を離れた武装勢力が隣国コンゴなどで今も活動を行っているように、なかなか容易ではありません。
上記【朝日】記事にもあるように、東ティモールでは7日には総選挙が行われます。
****東ティモール総選挙:前大統領が少数政党支持****
東ティモールの前大統領でノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ氏は、7月7日実施予定の総選挙(定数65、比例代表制)で、連立与党の一角を占める少数政党・民主党を支持すると表明した。東ティモールの地元メディアが伝えた。これにより、総選挙は02年の独立から国造りを主導してきた3人の大物政治家が、3政党に分かれて対決する構図となった。
総選挙ではグスマン首相の「東ティモール再建国民会議」と、最大野党でアルカティリ元首相の「東ティモール独立革命戦線」が第1党を争う見通し。首相選出に必要な過半数獲得は難しい情勢で、民主党など小政党との連立が必要になる。
ホルタ氏は在任中、グスマン政権の汚職を繰り返し批判。3月の大統領選の初回投票で敗退し、新大統領にはグスマン氏が支持したルアク氏が当選した。しかし、初回投票で得票率17%のホルタ氏は若年層を中心に人気が高く、民主党が議席を伸ばせば次期首相の人選に大きな影響を与える可能性がある。【6月5日 毎日】
********************