(イスラム教徒女性用の水着「ブルキニ」 日焼け防止・紫外線対策として、日本でも受けるのではないでしょうか http://b-aging.com/wp/2013/03/)
【ドイツは多文化国家か、「多文化主義は失敗した」か?】
ドイツには、トルコなどおよそ50カ国からやってきた約400万人のイスラム教徒が暮らしています。もともとは、ドイツ国内の労働力不足を補うべくドイツ自身が呼び込んだ人々です。
これらのイスラム教徒はくの町にイスラム教共同体を形成し、イスラムの祈祷所・集会所は2600カ所にのぼるとされています。
欧州各国における右傾化、移民排斥の動きはしばしば取り上げていますが、ドイツにおいてもイスラム教徒を巡る文化的・経済的軋轢が高まっています。
2010年10月3日、クリスチャン・ウルフ大統領(当時)は北部ブレーメンで行われた東西ドイツ統一20周年の記念式典で「わが国はもはや多文化国家だ。イスラムもドイツの一部だ」と演説し、現在はイスラム教もドイツの一部だとの認識を示しました。ウルフ大統領は、ドイツ国民にイスラム系の人びとに対する寛容さを求めると同時に、イスラム系移民に対してもドイツ社会に真に溶け込む努力が必要だと語り、イスラム系住民のドイツ社会への融合を目指す努力を訴えました。
この発言に反発する保守派の意向を受ける形で、メルケル首相は同年10月16日、与党キリスト教民主同盟(CDU)の集会で、「ドイツは移民を歓迎する」と前置きした上で「多文化社会を築こう、共存共栄しようという取り組みは失敗した。完全に失敗した」と述べ、喝采を浴びました。
このあたりのドイツの苦悩は、2010年10月ブログ“ドイツ メルケル首相「多文化主義は失敗した」 移民の「社会適応」と「選別」重視へ”(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20101021)で取り上げたところです。
そんなドイツにおけるイスラム教徒との文化摩擦に関する話題です。
****ムスリム少女の水泳授業拒否を認めず、「ブルキニ着用を」 独裁判所****
ドイツ東部ライプチヒの連邦行政裁判所は11日、プールで上半身裸の男子生徒の近くにいると落ち着かないとして水泳の授業を受けないことを認めるよう求めていたイスラム教徒の女子生徒の訴えを退ける判断を下した。
女子生徒は水泳の授業を受けない権利があると主張。女子生徒の弁護士は聖典コーランによれば原告の女子生徒は自分の体を男子に見せることを禁じられているだけでなく、上半身裸の男子を見ることも禁じられていると主張していた。
しかし裁判所は、夏になれば学校の外にも上半身裸の男性が出現するという「社会の現実」を学校が抑制することはできないと指摘するとともに、全身を覆う「ブルキニ」という水着を着れば女子生徒は宗教的信念を守ることができると判断した。
モロッコ出身でドイツ西部フランクフルトの学校に通っている女子生徒は、11歳のとき水泳の授業を拒否し、それに応じて低い成績をつけられていた。ドイツでは2012年9月にも中部のカッセルの行政裁判所で同様の判決が出ている。【9月12日 AFP】
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イスラム教の戒律は女性に対し、近親者以外には肌を露出しないよう定めているとされていますが、その点は、手足の先と顔しか露出しない特別な水着「ブルキニ」を着用することで一応はクリアできます。
今回は、更に“上半身裸の男子を見ることも禁じられている”という主張も加わっているようです。
「ブルキニ」とは、「ブルカ」とビキニを合わせた造語で、頭髪を隠すベール、体を覆うコート、ズボンからなる、体の線などを隠すようデザインされたイスラム教徒用の女性水着です。
学校側がブルキニ着用を認める形でイスラムにある程度の配慮をしているのであれば、それ以上の“上半身裸の男子を見ることも禁じられている”云々は、いささか自己主張に過ぎるように思えます。
“夏になれば学校の外にも上半身裸の男性が出現する”という裁判所の言い様も強引ですが、訴えを起こした女性がそこまでイスラム的価値観を守りたいということであれば、そもそも非イスラム社会で生活することに無理があるのではないか、そこまで非イスラム社会に求められても困る・・・というのが率直な印象です。
【優先する排除の論理】
今回は、ブルキニを着用して水泳授業に参加すべしとのドイツ司法の判断ですが、以前フランスでブルカ着用禁止が話題になった頃、今回とは逆に、ブルキニ着用で泳ごうとしたイスラム系女性のプール使用を拒否するという事件もありました。
****「イスラム水着」の女性、プール入場を拒否される フランス*****
パリ郊外エムランビルにあるプールが、全身の大部分を覆うイスラム教徒の女性向け水着「ブルキニ」を着用した女性の入場を拒否し、論議を呼んでいる。
折しもフランスでは、ニコラ・サルコジ大統領が6月、全身を覆う衣服ブルカについて「フランスでは歓迎されない」と発言し、ブルカ着用禁止の是非を検討する議員32人からなる特別委員会が設立されるなど、イスラム教徒女性の服装をめぐる論争が激化しており、この一件が火に油を注ぐ格好となった。
エムランビルの地元当局が12日明らかにしたところによると、女性は7月にもこのプールを訪れブルキニを着用したが、その時は入場が許可された。ところが、8月に再度訪れた際には、プール側は着衣のままの入場を禁じるという衛生上の規則を適用し、入場を拒否した。
パリジャン紙によると、女性はイスラム教に改宗したフランス人で、プール側の決定を不服として提訴する構えだという。「これはまさに人種差別です。変化をもたらすために戦います。もし負ければ、フランスを出国することも検討します」(女性の談話)
地元市長は、ブルキニはコーランに載っていないためイスラム教の水着ではないとし、今回の問題はイスラム教徒は関係ないと主張している。【2009年8月13日 AFP】
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以下は、この問題を取り上げた2009年8月16日ブログ“イスラム社会との軋轢 「ブルカ」に「ブルキニ」、そして「ズボン」”(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20090816)からの再録です。
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この問題を報じた地元紙のホームページには、「宗教的差別ではなく、公衆衛生の問題」「(宗教などへの)寛容の精神がない」などと賛否両論が殺到。地元当局者は「(ひざ上まである半ズボンの水着なども認められないように)イスラム教とは関係なく、衛生上の問題だ」と訴えているそうです。
日本の公衆浴場などでも水着着用を禁じているように、“衛生上の問題”というのは理解できます。
ただ、こうした議論は、どういうスタンスに立つのか、排除の立場か融和の立場か・・・という議論の出発点で決まってくるように思えます。
イスラム社会の浸透を苦々しく思っており“排除”の立場に立っていれば、“衛生上の問題”で突っぱねることになりますし、イスラム社会を受け入れて“融和”の方向でと考えていれば、問題の特殊性を考慮して、衛生上の条件を付加する形でなんらかの妥協も可能な問題かと思われます。
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【教育の場における宗教の問題】
もっとも、宗教と教育の関係は、判断が難しい問題が多々あります。
ドイツのブルキニ訴訟で連想したのは、日本の「エホバの証人」の生徒を巡る「神戸高専剣道実技拒否事件」です。
聖書の教えを重視する「エホバの証人」は、多数派キリスト教とはやや異なる聖書解釈をしています。
彼らの解釈では、剣道の体育授業は聖書の教えに反するので受けられないという判断になります。
事件の概要は以下のように説明されています。
****神戸高専剣道実技拒否事件*****
1990年に神戸市立工業高等専門学校に入学した学生には、「エホバの証人」の信者5名がいた。この年に同校は新校舎に移転したことにともない、体育科目の一部として格技である剣道の科目を開講した。
この科目に対して5名は、彼らの信仰するところの聖書が説く「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」という原則と調和しないと主張し、剣道の履修を拒否した。
彼らもただ授業を拒否しただけでなく、病気で体育が出来ない学生のように授業を見学した上でレポートの提出をもって授業参加と認めるように体育教師とかけあったが、認められなかった。
そのため、5名の信者が体育の単位を修得できず同校内規により原級留置となった。
翌年、信者5名のうち3名は剣道授業に参加したため進級出来たが、1名は自主退学、もう1名(原告)は前年と同様な経緯をたどったため再び原級留置とされた。同校の学則は2年連続して原級留置の場合は退学を命ずることができるという内規があり、その内規により退学処分を命じられた。【ウィキペディア】
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1審の神戸地裁は退学処分を正当とする学校側の主張を認め、原告の請求を棄却しました。
しかし、大阪高裁および最高裁は、地裁の判決を破棄し、学校側による一連の措置は裁量権の逸脱であり違憲違法なものであったと認定し、退学処分を不当とする原告の主張を認めています。
他の体育科目による代替的方法が可能であり、実際に他の学校では同様な格闘技の授業を拒否する学生に対し代替措置が行われているということから、原告勝訴となったようです。
また、代替措置を講じることは、特定の宗教に対する援助を禁じた憲法20条3項の政教分離の規定には反しないとしています。
ドイツのブルキニ事件では、ブルキニ着用という学校側の“代替措置”がとられている・・・ということになるでしょうか。