(画像は【大紀元日本】より 寒い中を我が子に車をひかせ、引き綱を落としたからと言って我が子を鞭打つ父親というのも、現在の価値観からすると完璧な虐待おやじですが・・・)
中国に親孝行物語を集めた「二十四孝」というものがあることはよく知られているところです。
その中に、閔子騫(びんしけん)という人物の話があるそうです。
****閔子騫(びんしけん)****
孔子の弟子の閔子騫(びんしけん、子騫は字。諱は損)は幼い時に母を亡くし、父が再婚して異母弟2人ができた。
継母は実子2人を愛したが継子の閔子騫を憎んで、冬になると実子には綿入りの着物を与えたが、閔子騫には蘆の穂を入れた着物を与えた。閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が継母と離縁しようと言うと、閔子騫は「母上が去られては、3人の子供は凍えます。私1人が凍えていれば、弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで下さい」と言った。
継母はこれに感激し、以後は実母のように閔子騫を可愛がったという。【ウィキペディア】
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若干補足すると,“蘆の穂を入れた着物”というのは、見た目には暖かそうであるが、実際にはとても寒い着物だそうです。
そのため、父親が乗る車の御者を閔子騫がしているとき(検索した絵で見ると、馬ではなく、閔子騫自身が人力で父親の乗る車を引っ張るスタイルのようにも)あまりの寒さに閔子騫は綱を落としてしまいます。父親は「情けない!こんなこともできないのか!」と怒り、閔子騫を激しく鞭で叩きます。
そのとき鞭打たれた閔子騫の“蘆の穂を入れた着物”が裂け、父親は初めて息子が継母に虐待されていることを知った・・・という話のようです。
離縁を諫める閔子騫の言葉は「母在一子寒 母去三子単」(母上がいれば、私一人が寒い思いをするだけですみます。もし、母上がいなくなると、子供三人とも単衣の着物で寒い思いをすることになります)というものです。
私はこの話は今日初めて聞きました。
私事ですが、ここ数か月、市民講座で中国語の授業に週1回通っています。日中の人材交流事業みたいなもので来日している30歳ぐらい(?)の若い中国人女性が先生です。
その先生が、今日の授業(先ほど終わって、帰ってきたところです)の冒頭で、“故事”(中国語で物語という意味)という言葉の関係で、「中国にはシンデレラ物語があります」ということで紹介されたのが、上記の閔子騫(びんしけん)の話です。
「二十四孝」については、以下のようにも。
****『二十四孝』(にじゅうしこう)****
『二十四孝』(にじゅうしこう)は、中国において後世の範として、孝行が特に優れた人物24人を取り上げた書物である。元代郭居敬が編纂した。
儒教の考えを重んじた歴代中国王朝は、孝行を特に重要な徳目とした。
ここに紹介された中には、四字熟語や、関連する物品の名前として一般化した物もある。日本にも伝来し、仏閣等の建築物に人物図などが描かれている。また、御伽草子や寺子屋の教材にも採られている。【ウィキペディア】
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このような話を多く含む儒教的精神(それは封建社会を支えるものでもあり)をどのように評価するかは、いろいろあるところでしょうが、日本では“御伽草子や寺子屋の教材にも採られている”というぐらいですから、基本的にはこういう話を高く評価する文化的背景・価値観があった(今でも、一定に“ある”)と思われます。
先生は、「中国ではこのような話を教わります。私も親から教わりました」とのこと。
そのとき、「本当に、今の中国の人は閔子騫(びんしけん)のような話を評価しているのだろうか?」と、ちょっと違和感を覚えました。
授業が終わったあと、中国語の発音の質問のついでに、「ところで、中国語とは関係ないことですが・・・」と先生に尋ねてみました。
「中国に二十四孝というような話があることはよく了解していいます。日本でも、中国からそうした話を取り入れて学んでいます。
でも、今の中国の人たちは、本当にこうした話を価値あるものだと評価しているのでしょうか?
現在、中国と日本の関係はいろいろありますが、世論調査では中国側の日本への評価が最近かなり改善されてきたのに対し、日本側の中国への評価は厳しいままです。
そのアンバランスの背景には、中国人・中国社会というのは自分の利益だけを追求し、孝行とかモラルとかいった価値観が薄れているという日本の対中国評価があるのではないでしょうか?
そうした自分の利益だけを重視して、他者・他国の権利・利益を顧みない社会・国家のありように対する厳しい見方が日本側にはあるように思えるのですが・・・」
私も、先生も帰り支度をしながら、先生は送迎の人を待たせながらの立ち話で、ほんの2~3分話しただけです。
先生は「いえ、そうではありません」と言われていましたが、互いに時間もなく、話はそこで終わりました。
まあ、親孝行話を取り上げたのは、私もまずかったかも。
中国では、肉親を大切にある考え方は今でも強いものがあると聞きます。ただ、それはあくまでも“自分”の延長としての“自分の親兄弟”であり、他者・他国への配慮にはつながりにくいのかも。
儒教的な礼節を重んじる価値観は日本には強く残っています。
中国も同様であるなら、両国の関係はもっと良いものになるだろうに・・・という思いからの質問でした。
別に、中国の人が他者への思いやりに欠けたひとばかりだと言うつもりは全くありません。
今まで9回ほど中国を観光したことがありますが、その際に随分と親切にしてもらったことがいろいろあります。
27年前に新疆(シルクロード)を旅行した際には、移動の汽車の中で激しい腹痛に襲われ、やっと目的地に着いたものの歩くこともできず、駅前広場のトイレの前あたりの地面に転がっていたことがあります。
そのとき、近くの病院まで連れて行ってくれた中年女性、治療後に駅まで手を引いて案内してくれた男性医師・・・感謝の念でいっぱいです。
5年前のネパールへの旅行際に、飛行機の乗り継ぎで一泊した昆明で、夜中の12時過ぎ、ホテルがどこにあるかわからず、中国のお金もタクシー代で使い果たし、誰もいない暗闇に一人立ちすくんだ経験もあります。
そのとき、藁にもすがる思いで尋ねた男性が、自分の車でホテルまで連れていってくれたことも。彼に出会わなかったらどうなっていたか・・・。
ですから、中国の人が他者への思いやりに欠けたひとばかりだと言うつもりは全くありません。
また、最近の旅行で目にする中国は、列に並ぶなどのマナーも随分と改善され、街にもゴミは落ちていません。タンを吐くような人もあまり見かけなくなりました。トイレも改善されつつあります。
一方で、自分・自国中心でしか物事を考えないような、眉を顰めるようなニュースを目にすることも少なくありません。
閔子騫や二十四孝などを重視する価値観を共有できるのであれば、尖閣の問題などはどうにでもなる、あるいは、どうなってもかまわない些細な問題にすぎないでしょう。