「風の記憶」と題された山本一樹展が浜松市美術館で催されている。
前日に招待されて見に行ってきた。
金属とは思えない質感やら金属らしい光沢をズラリと並んだ作品から味わう。
ふくよかな丘に階段とベンチ。
電柱と自転車と1本の木。
懐かしくもあり孤独なシアワセとでもいうような感覚も頭に浮かぶ。
繊細な作業から生まれてくるものとは感じさせない全体的なボワーとした暖かさが印象に残る。
それは彼自身なのだろう。
作業風景のビデオが流されていた。
芸術家のアトリエというより工場の一室という風景だ。
その中で槌を振るい穴を空け液体処理する。
その姿はまるで「まち工場のオヤジ」であった。
同じ機械で作り出してもオヤジの違いで生まれてくる物は製品と芸術品に分かれる。
芸術性と器用さの両面持ち合わせていなければ成し得ない作品だ。
17時半からレセプションが行われ、そうそうたるメンバーの中に自分のいることが不思議に思えた。
出されたワインを持ちヒルマン佐藤氏の作ったツマミを食べていると私と同じ車仲間の姿が見えた。
彼らと話すことによって、この中にいる自分の位置が確認できた。
フランス人ケーキ職人ベルナール氏とは翌日一緒に走ることとなった。
山本一樹氏とは車仲間だが彼の原風景の中に車は出てこないようだ。
彼の作品タイトルには風の付くものが多い。
「風」と聞いて思い浮かべるのは、やはり彼の爽やかさだ。
山本一樹展は5月20日まで開催している。
前日に招待されて見に行ってきた。
金属とは思えない質感やら金属らしい光沢をズラリと並んだ作品から味わう。
ふくよかな丘に階段とベンチ。
電柱と自転車と1本の木。
懐かしくもあり孤独なシアワセとでもいうような感覚も頭に浮かぶ。
繊細な作業から生まれてくるものとは感じさせない全体的なボワーとした暖かさが印象に残る。
それは彼自身なのだろう。
作業風景のビデオが流されていた。
芸術家のアトリエというより工場の一室という風景だ。
その中で槌を振るい穴を空け液体処理する。
その姿はまるで「まち工場のオヤジ」であった。
同じ機械で作り出してもオヤジの違いで生まれてくる物は製品と芸術品に分かれる。
芸術性と器用さの両面持ち合わせていなければ成し得ない作品だ。
17時半からレセプションが行われ、そうそうたるメンバーの中に自分のいることが不思議に思えた。
出されたワインを持ちヒルマン佐藤氏の作ったツマミを食べていると私と同じ車仲間の姿が見えた。
彼らと話すことによって、この中にいる自分の位置が確認できた。
フランス人ケーキ職人ベルナール氏とは翌日一緒に走ることとなった。
山本一樹氏とは車仲間だが彼の原風景の中に車は出てこないようだ。
彼の作品タイトルには風の付くものが多い。
「風」と聞いて思い浮かべるのは、やはり彼の爽やかさだ。
山本一樹展は5月20日まで開催している。