家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

倒木を徐々に切った

2018-10-16 07:45:23 | Weblog
妻と一緒に行った10月1日には倒れていなかった木が2日に倒れた。

2日になかった倒木が3日に電線に引っかかっていた。

5日にならないと戻らなかった春野の電気は当然のように感じた。

今でも仮の通電だと思う。

いたるところで異常な電線の配置が見られるし、その数は数え切れない。

Y爺さんの山は倒木が多すぎて山に入れないという。

倒れ掛かった木は我が家の山にもある。

いつ倒れてくるのか分からない。

そんな中、いつも使っている山道を遮る倒木を切ることにした。

初めは妻にも同行してもらった。

手伝うわけではなく見ていてもらうのだ。

倒木が道路にまで落ちていっても通行止めになっているから問題はない。

ゆっくり片付ければいいのだ。

問題は木を切ったために私が巻き込まれるのを避けるためだ。

切っている木の根元には大きな岩がある。

私がチェーンソーの刃をいれると倒木は少しずつ姿勢を変える。

その時岩が微妙に動くという。

私は切る場所に集中しているが岩のあたりを見ている妻は恐怖で大声を出しっぱなしだ。

だが私がチェーンソーのエンジンを止めない限り私には聞こえない。

ほぼ今まで通りの山道を確保して次は敷地内に倒したままのケヤキを切った。

太い部分は将来彫刻でもやりたくなるかもしれないと思い、しかし多分薪になるだろうと踏んで30センチほどの長さにする。

それでないと重くて持ち運べない。

持ち運べる大きさのものはヒラタケのホダ木にする。

細いものは箸でも作ろうか。

もう落ち葉の季節になった。

ケヤキの葉っぱが盛大に落ちてくる前に、その下にまとめてある枝の類を片付けておかなければ。

たったひと晩の台風がもたらした被害が電気だけでなく細かな部分にまで生活を変えている。

春野の我が家の前には通行止めの看板が置かれていたが、やっと取り外された。

我が家から自宅に戻ろうとすると3本の道がある。

だが、この通行止めの道以外にも倒木があり3本とも通れなくなる可能性は低くない。

備えて置く必要は明らかだ。