家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

それでも咲く

2022-04-01 09:47:26 | Weblog

最近の散歩では桜の撮影者が目立つ。

散歩コースには多くの桜がある。

今では老人までケータイを持っているので思いついたときに「パシャッ」と写真を撮る。

だがこうまで美しいと思いつきというより待ちに待って、そのタイミングで、この角度で、という人も多いと思う。

老夫婦がシダレ桜の所で思い思いの位置から桜を撮っていた。

自分たちが若いころには撮り終えた後フィルムを現像に出して写真にプリントしてもらってから見た。

そこで初めてピントがずれていたり逆光だったりと思い知るのだ。

今は思い通りに何枚も撮れてありがたい世の中になったものだと思う。

私も満開になる手前あたりから何枚か撮った。

で、心に残ったのは去年の強風で枝2本が折れてしまった桜だ。

ピンクではなく白い花びらが美しい。

折れた枝の先にはちゃんと花が咲いている。

花だけ見ればその枝の元が折れているとは思えない。

その花たちの苦労話を聞けば「なるほどねー」といって涙するかもしれない。

満開の美しさ、桜吹雪の美しさ、道路に溜まり重なり合った花びらの美しさ。

どれもとても美しい。

だが心に残るのは太い幹から直接出た小さな枝に咲く花。

そして折れて先端が道路に付いてしまった枝に咲く花。

何かいわくがありそうな花だ。

だが苦労話は語らないし、お前もこうしろとは言わない。