家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

孫画伯

2022-05-26 15:42:54 | Weblog

孫たちがゴールデンウイークに来た時面白い出来事があった。

息子と、その嫁さんが驚いたという。

孫にスマホを渡しておいたら、ちゃんと文字が送られてきたからだと言う。

孫はまだ指差ししてひらがなを一文字ずつ読む程度なのだ。

じゃあ皆で「やってみようか」ということになった。

私もスマホを出してラインのアプリを開いた。

すると孫からのふざけた言葉が送信されてきた。

私もその画面の中にあるマイクロフォンマークを押して喋ってみた。

すると音声メッセージとして画面に現れた。

クリックしてみると私からの声が流れた。

孫が調子に乗って、あまりにもつまらない言葉を羅列するので、かあちゃんから「もうやめなさい」と言われ更に「削除しておいてね」と注文された。

言葉を流ちょうに話すことは知っていたが言葉を文字に変換するすべを知っていれば書けなくても他人に充分通じることを学んだ。

私は、どうすれば音声が言葉に変換されるのか今も分からないままだし削除できる孫に再び驚いた。

大人びた言葉を使えば年齢詐称することも簡単にできそうだ。

電源を入れて正常に作動させて、あとはアイコンを押せばアプリが起動するしアイコンで次から次へと進めれば言葉を読めなくても、どんどん世の中に入っていける現実を見た思いがした。

そんな孫から絵の写真が届いた。

孫が描いた絵だ。

青いのが空で黒丸がタイヤ。

緑がモーガン。

その下がおじいちゃんで、その左側が僕。

ということらしい。

絵は、さすがにまだ5歳の絵らしい。

説明がなければ分からないし説明を受けても分からない部分が多い。

青空の日に緑色のモーガンに乗って走り、気持ち良かった印象が残っているのだろう。

だが写真のような絵ではなく脳裏に残っている記憶というものは、こんなものかもしれないなぁ、と思うようになった。

絵の中に車の写真を取り込み私と孫の顔をはめこんで送られてくる日も遠くないと感じる。