比較的暖かい日であったが着脹れしてオートバイに乗った。
用事を済ませた後友人の陶芸家のところにお邪魔した。
ちょうど友人のお父さん(先代)が居合わせたので御挨拶させていただいた。
私がオートバイで来たのを見られて寒さに関して思い出したようであった。
「私は満州に出兵しシベリアに抑留されていたので寒さには強いです。
日本兵は支給された防寒帽を被っていても凍傷にかかって鼻や耳たぶの一部がなくなってしまった人が多いですよ。そんな中、現地の人は顔が出ていたり子供なんかお尻の一部を出して平気で遊んでいた」と言われた。
そして私の履いていた革パンツを見て「それなら暖かいでしょう」と言う。
身動きが取りにくいほど着込んでいた私は少し恥ずかしくなった。
当時の衣料からしたら今は格段と暖かく軽くなった。
だが寒いものは寒い。
帰りは気合を入れて走った。
でも寒さとは全く関係ない。
用事を済ませた後友人の陶芸家のところにお邪魔した。
ちょうど友人のお父さん(先代)が居合わせたので御挨拶させていただいた。
私がオートバイで来たのを見られて寒さに関して思い出したようであった。
「私は満州に出兵しシベリアに抑留されていたので寒さには強いです。
日本兵は支給された防寒帽を被っていても凍傷にかかって鼻や耳たぶの一部がなくなってしまった人が多いですよ。そんな中、現地の人は顔が出ていたり子供なんかお尻の一部を出して平気で遊んでいた」と言われた。
そして私の履いていた革パンツを見て「それなら暖かいでしょう」と言う。
身動きが取りにくいほど着込んでいた私は少し恥ずかしくなった。
当時の衣料からしたら今は格段と暖かく軽くなった。
だが寒いものは寒い。
帰りは気合を入れて走った。
でも寒さとは全く関係ない。
お年寄りの短い言葉に人生が凝縮していて尊敬しています。
先代の方との2ショットにも円熟味が感じられます。
私も静岡に行くと暫くの間 静岡弁が抜けません。
浜松弁もいいらー。
わすけさんは東京弁の英語なまりかな?
写真は先代「静邨」さんです。先代の長男が「静邨」を継いでいます。こちらの窯は曉雲窯から車で5分ほどのところにあります。同じ赤焼きですが、やはり造り手によって微妙に違います。手造りの良さでもあります。
最近、友人からの英文和訳の以来の集中攻撃で辟易中ざます。
「行きたいだけーが」が掛川。
「行きたいもんだで」が磐田。
「行きたいだにぃ」が浜松かな。
以上独断と偏見でした。