家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

挨拶は気持ちの表れ

2013-03-15 08:33:40 | Weblog
繁華街を歩いているとビルの中を車椅子が移動している。

私の歩みよりは、よほど早く移動している。

そのビルをよく知る私は、その行く手にドアがあり、それが自動で開かないことも知っている。

案の定車椅子はドアのところで止まっていた。

私は近寄り「開けましょうか?」という仕草をして見せた。

車椅子は中年の女性が乗っていた。

女性は「うん」と合図した。

私はガラス製の大きなドアを開け彼女を通した。

少し後ろから老年夫婦がやってくる。

そのまま締め切るわけにも行かずドアを開けたまま彼らを待った。

車椅子の女性は「ありがと」と言うやさっさと前に進んでいった。

老夫婦に「ついでにどーぞ」と笑いながら言うと「どうも」と言って笑顔でビルから出て行った。

車椅子の女性よりも後から出てきた老夫婦の方が、よほど感謝の気持ちが表れていた。

ドアを開ける行為は当然のことだ。

だが「ありがとう」の言葉をもう少し丁寧に言って欲しいと思うのは変か?

いろいろな人がいるからな。

たまたま車椅子を利用していたが車椅子とは無関係。

車椅子に乗っている、その人の問題だなと思う。

後味のあまり良くない出来事だったが老夫婦の笑顔で救われた。


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2 コメント

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Unknown (山水)
2013-03-15 22:59:57
朝の散歩の時に初老が黙って通り過ぎようとしたためにこちらから
「おはようございます」と声かけたら 「おはよう」だけでゴザイマスがないのが気になります
高校生はしっかりむこうからゴザイマス付きで挨拶します
私もゴザイマス付きで返します
返事を求めてはいけないことですが 
初老は今までどんな生き方をしてきたのだろうと思いました
明日はこちらも黙っていようかとも思ってしまいます
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山水様 (無職無収)
2013-03-17 08:26:29
私も、そのような経験があります。
「おはようございます」と言ったところ
「はい」と返してきた。
何その「はい」って。
私も気分を害しました。
その後その爺と会うことがなくて幸いです。
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