家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

66歳になった

2019-01-09 07:58:45 | Weblog
66歳になった。

まだ11月末に亡くなった猫のことを引きずっている。

年賀状も出すのを止めてしまった。

猫だから喪中ハガキを出すまでもないが、それでも家族を失った感覚はある。

でもフォーレのレクイエムを聴いても泣かないから、かなり回復していることを実感する。

昨年は多くの親戚知人、また同級生が亡くなった。

というより年々増えている。

自分の年齢からすれば当たり前のことだが、その都度ショックがある。

昨年亡くなったのではないが友人の父親の洋服をたくさんいただいた。

着てみたら、なんとピッタリだった。

私のような特殊に近い体型の人がいたことに驚いた。

よく言われる「ズングリムックリ」。

ブレザー スーツ スリーピース 喪服 モーニング バーバリーのステンカラーのコート2着そしてウォーキングシューズ。

帽子だけは私のほうが頭が大きくて入らなかった。

帽子好きの私は残念でならない。

彼は私とは体型は似ているが、中身は違って東京大学卒で日本国のために働きイギリスに家族で住んでいた人だ。

そんな立派な人の物をいただけるなんて、ありがたい。

私も見かけだけは紳士になってしまった。

春野に木を切りに行くときにも生地と仕立ての良いブレザーを着ていっている。

到着してから作業着に着替えると本来の自分に戻る。

地下足袋を履いて山で作業をする。

スパイクの着いた地下足袋であってもズルッと滑る。

クタクタになって部屋に戻りスカっとした服に着替えて帰宅する。

何と幸せな生活であろうか。

おかげで具合の悪いところはない。

薬も飲まないし食事も美味しい。

過去を振り返って「あの頃は良かった」と思ったことがない。

現在がいちばん良いからだ。

43年連れ添った妻は今だに美しいし毎日が楽しい。

この先も失っていくものが増えていくことだろう。

だが当たり前のことに一喜一憂しないで生きていく。

泣くことはあるけど。

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