家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

カレンダーの放棄

2013-04-19 07:02:28 | Weblog
今年1月の初旬にカレンダーが欲しいという近所のおばあさんを乗せて浜松駅まで行った。

おばあさんは一人暮らしなので私の妻が少しだけお手伝いをしている。

妻が「買ってくるよ」と言っても「自分で買う」と言って聞かない。

私の出番が来たので喜んで乗せていった。

おばあさんだけでなく手押し車も後部座席に乗せた。

さて駅まで来ると、いったいどこにカレンダーを売っている店があるのか分からない。

おばあさん自身も自分で説明できないことに驚いている様子だった。

実は昨日自分でタクシーで買いに来たという。

ところが歩いているうちに転んでしまってカレンダーどころか救急車で病院に運ばれてしまったということだった。

その結果医師の「何とも無い」との判断で帰宅していた。

結局どうしてもカレンダーの店が思い出せず、そのまま自宅まで送り届けた。

後日私が駅ビル内の本屋で、おばあさんの言っているらしいカレンダーを見つけた。

店が駅中だったので駅に来ても店の場所を思い出せなかったと想像した。

すぐ購入して妻に渡し妻がおばあさんの家に届けた。

その後おばあさんは入院をした。

一箇所目の病院では寝てばかりで「もうだめかな」と感じさせた。

ところが二箇所目の病院では歩行訓練が始まりメキメキ足も上がるようになった。

「オイッチニ オイッチニ」と掛け声をかけて担当者も驚くほど努力していた。

今度は枕元に置く小さなカレンダーを欲しがった。

入院先に妻が届けた。

「ありがとう。これで便利になった」と喜んだ。

元気になって、やがて退院して我が家に戻ったおばあさん。

今度は自宅の寒さに閉口しているようだ。

ある日カレンダーが捨てるゴミとなっていた。

あれだけ必要だったカレンダーなのだが。

大きなカレンダーも小さなカレンダーも折り曲げて捨てるようになっていた。

おばあさんの頭から一つの束縛が外れたようだ。

それでも、おばあさんが自由になったとは思えない。

毎日の時間的な束縛は続く。

何かを食べなくては生きていけないし寒ければ布団から出られない。

でも週や月の、ましてや年の感覚は考えたくなくなったようだ。

かたくなに拒否する老人介護施設。

風雨や気温に影響を受けず食事も定期的に提供されリハビリという運動付きの場所の方が楽に生きていけると思うのだが。