「こんにちわッ、テディちゃでス!
ううゥ~むゥ? しずかァ~なのでス!」
「がるる!ぐるるるがるる~!」(←訳:虎です!虫の音がしない~!)
こんにちは、ネーさです。
耳を澄ませど、虫たちの歌声が全く聴こえなくなりました。
気温が高い日が続いていたのになあ、もう冬の入り口かあ、
と寂しく思いながらも、さあ、読書タイムですよ。
本日は、こちらのノンフィクション作品を、どうぞ~♪
―― ようこそ!富士山測候所へ ――
著者は長谷川敦(はせがわ・あつし)さん、
2023年10月に発行されました。
『日本のてっぺんで科学の最前線に挑む』と副題が付されています。
標高3776メートル、
富士山頂の剣ヶ峰(けんがみね)に建てられた
富士山測候所――
その歴史は“冬“に始まりました。
「めいじのォ、むかァ~しィ!」
「ぐっるがるるぐる!」(←訳:たった一人で挑戦!)
1895(明治28)年10月1日午前0時、
ただ一人で、富士山頂での気象観測を開始したのは
野中至(のなか・いたる)さん、28歳。
これまで誰もやったことがない
冬の富士山頂での観測は、あまりにも過酷で、
至さんの手伝いをしようと
後から山頂の小屋にやってきた妻・千代子さんとの二人体制になっても、
トラブルは増してゆく一方で、
野中夫妻は体調を崩してしまいました。
観測を開始して82日、
12月22日に、至さんたちを心配した人びとに説得され、
夫妻は下山することに……。
「むりもォないィのでスゥ!」
「がるるぐるるがるぐる……!」(←訳:真冬の富士は魔境だよ……!)
なぜ、富士山頂に測候所が必要なのか。
その理由を、
昭和の時代になって、
ようやく本格的な測候所が開設されてゆく経緯を記しながら、
著者・長谷川さんは明快に指摘します。
富士山測候所に備えつけられた富士山レーダー、
このレーダーができる前とできたあとで、
大きく変わったことがある。
レーダーができる前は、
伊勢湾台風(1959年)のような大型台風が襲来すれば、
数千人の人命が失われてしまっていた……
一方、富士山レーダーが完成した1964年から
役目を終えて廃止になった1999年まで、
台風によって100人以上の死者・行方不明者が出たことは、
一度もなかった。
「おおおッ!」
「ぐるるるる!」(←訳:そうなんだ!)
科学に何ができるのか。
富士山測候所の始まりから、
強風にも耐え得る建物と
観測機器を完備した測候所の設計・準備や、
完成までの困難極まる道のり、
高所に滞在する疲労と苦労、
測候所廃止後も学術活動を継続させること。
明治の昔から、
現在の測候所と、
気象の未来をも遠望するノンフィクション作品は、
大人な活字マニアさんはもちろん、
科学好きな小学生さんにもおすすめですよ。
本屋さんで、図書館で、
ぜひ、探してみてくださいね~♪