A Lady Standing at the Virginal 「ヴァージナルの前に立つ婦人」
1672-73, oil on canvas, 51.8 x 45.2 cm,
Inscribed top left of virginal : IVMeer (IVM in ligature)
The National Gallery, London, UK
この作品より10年前の、低い色調の照明と、注意深く変化させた室内色のテーマと比較すると、フェルメールの後期のこの作品の中の光は透明なクリスタルで、輪郭はもはやソフトでもほやけてもいない。 即ち、ヴァージナルの輪郭線は、キューピッドの黒檀の額縁と同じく、白い壁に対照的にくっきりと描かれている。
この「絵の中の絵」はCaesar van Everdingen (c.1617-1678)の絵である。
エレガントに飾られた部屋の隅に立っている若い婦人が、ヴァージナルの鍵盤に軽く手を置いて鑑賞者の方を見ている。 彼女は堅いサテンのスカートと肩部にレースの縁飾りの付いた青い胴着というファッショナブルなドレスを着ている。 赤いリボンが膨らんだ白い袖の肘部と肩部を、更に頭髪の髷部を飾っており、首には真珠のネックレスを付けている。 部屋と家具が裕福で幸せそうな感じを出している。 実際、大理石を貼ったケースや絵のある蓋を持つヴァージナルは、裕福な家庭にのみ所有出来たものである。 彼女の後方に架けられた二つの絵、黒い額縁のキューピッドと金色の額縁の風景画が、所有者が鑑賞眼のあることを示唆している。
プライベートな行動をしている若い婦人に焦点を当てるのは、フェルメールが1660年代中期、例えば「#15/手紙を読む青衣の女」(1663-64)で一人の人物を描写したのと多くの面で似ている。 しかし、この絵のムードと雰囲気は、全く異なっている。 もはやソフトにぼやけてはいない透明な光が鈴ガラスの窓から射し込み、金色の額縁、婦人のサテンのドレスに鋭い角を持ったヒダやヴァージナルの堅い枠に輝くようなアクセントを創り出している。 フェルメールは更に、白壁に対して黒い額縁とヴァージナルの蓋の黒い縁取りを鮮明な形状を出して描き、アクセントにしている。
1660年代中期から1670年代初期にかけてフェルメールの絵は、雰囲気的な明瞭さと共に描写的にも一層くっきりしたものになって、1660年代の注意深く変化するトーンや色が、もっと直接的で大胆なものに変化している。 この絵で彼は、婦人のドレスの鋭いヒダを白の絵具の素早い筆使いで描き、Lead-tin yellowの素早い盛り上げ塗りで金色の複雑な模様の額縁に当たる光を描いている。 更に、そして最も重要なことは、彼が物体のエッジをぼやけた線ではなく鋭い線で描いている事である。
雰囲気的な明瞭さを求めたフェルメールの描写技術は、よリシンプルになっている。 例えば、この絵のベルベットのシートカバーの柔らかい素材感を出す方法は、「#12/デルフト眺望」(1660-61)の赤い屋根タイルの粗い感じを創り出した時の技法をシンプルにしたもので、ブルーの薄い表面層から透けて見えている白鉛を多く含んだGray-blueの下地を使っている。 婦人の顔と真珠のネックレスを描くのにも昔の技術を少し変えて使っている。 「#21/赤い帽子の少女」(c.1665)でしたように、黄土色の下地の上に薄い緑っぽい光沢層を置いて、彼女を照らしている半陽光を表現している。 例えば、頬は下地が透けて見えるほど表面の光沢層を薄くすることで、内面の温かさを肌に吹き込んでいる。 最も興味深い点は、首の肌色の厚い盛り上げ塗りの間でその形状を決めるネックレスの下地色にグリーンを使っている点である。 更に、彼は真珠の輝きを、初期の「#16/天秤を持つ女」(c.1664)で使った複雑な二層技法ではなく、単に白い一つの点で描いている。
結果として、1660年代中期の抑えた光とぼやけた輪郭から来る静かな室内シーンとは全く違ったムードになっている。 若い婦人が鑑賞者に向けている限差しは、もはやはにかみでも当惑でもなく、むしろ強烈で意図的なものである。 即ち、彼女は真後ろにある絵のキューピッドに鑑賞者の注意を引こうとしている。
フェルメールと同時代の鑑賞者ならば Otto van Veenの有名な象徴学の本「Amorum Emblemata」(1608年作)からキューピッドのイメージを思い起こすことが出来るのかも知れない。Van Veenのキュービツドは、月桂冠の中に数字の「1」があるカードを高く掲げ、足で「1」ではない数字のカードを踏み付けているが、フェルメールは明らかにそれと同じ情緒、即ち「恋人はただ一人を愛すべきである」事を表現しようとしている。
その他の物、つまり純愛を暗示するヴァージナル、幅木のタイルに生命を吹き込むキューピッドがこの絵の恋/愛に関するテーマを補強している。 17世紀の詩歌では婦人の純真さと美しさを自然にたとえたように、ヴァージナルの蓋と壁の風景画は、図像的視覚的な役目を果たしている。 純粋で仲睦しい恋を期待し共有する魅力が、外に向けた眼差しの強さを通して婦人から侵み出ている。 更に、構図の明瞭さと調和ハーモニーを通して、恋を強調するテーマに対する倫理感を創り出している。
この絵のスタイル的テーマ的な前例は、1660年代中期のフェルメール自身の作品にあるが、明瞭なフォルムと倫理的テーマに向かった1670年代のスタイルの変化は、同時代のオランダ画家達が取ったアプローチと関連している。 例えば、1670/71年にフェルメールと共にSaint Luke ギルドの組合長だったComelis de Man(1621-1706)は、明瞭に描写した室内シーンの中で中流家庭の日常生活の教訓的な風俗画を数多く描いている。 フェルメールとDe Man の絵を比較すると、そうした一般的な特徴以上に、フェルメールのアプローチには際だった抑制/自制があることを示している。 フェルメールはDe Manと違って、絵の意味を鑑賞者に知らせるような明らかな動きやジェスチャーを描いていない。 代わりに、彼は、若い婦人の態度や装飾物が投影する倫理的な意味を補強強調するのに、絵の”言葉”、つまり光/色/素材/形状/透視画法に信頼を置いたのである。