明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



私が初めてバレエを観た時、筋肉モリモリの男性が女性的な雰囲気満載で薔薇の花びらの着いた奇妙な衣装で踊っていた。なんだこれは?どうやら ニジンスキーというダンサー由来のものらしい、と鈴木晶さんの著作をむさぼり読み、そこに掲載されていた異様に太い太腿の男の写真に魅了された。そして翌年個展をする、という暴挙に出てしまった。しかも御丁寧にオイルプリントによる個展であった。 後に九代目市川團十郎で同じような経験をした。ニジンスキーは異様なジャンプ力で窓外に消えて行くが、そのまま空中に飛んでいくように見えた。ジャンプの頂点で消えるのでそのように見えたらしい。九代目團十郎は実際は華奢な身体だが、舞台からはみ出るように見えた、と当時の目撃談が残っている。いずれも芸の力で物理を超えたイメージを観客に与えたのであろう。 千代の富士は小さいのに巨漢力士を受け止めていたのが不思議に見えたものだが、前マワシを怪力で引きつける、という“芸”がそうさせていた。 薔薇の精に扮したニジンスキーとデイアギレフである。これも縦が2メートル以上になる予定である。

深川の人形作家 石塚公昭の世界展

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ドストエフスキーはどういうわけか口を半開きにしているポートレイトが多い。それではホコリが入る、と親にいわれなかったのだろうか。私はいわれた。髭も実際は密度もなくポヤポヤである。これは粘土ではどうしようもない。私が作った像も実は口を開いていたのだが、鼻の下の髭が陰となってそう見えない。口を閉じることにした。 松尾芭蕉を作った時、勝手な芭蕉像ばかりだ、と弟子達の描いた肖像画にこだわったが、実は私より年下のくせに、枯れ木のような老人像ばかりで頭に来ていた訳で、ドストエフスキーは過去の肖像画家がそうしたように文豪然とさせることにした。 ところでドストエフスキーの肖像画といえば、世界的にもっとも有名なのがこの画であろう。ところが困ったことに、私にはどうしてもドストエフスキーに見えないのである。制作時、これだけリアルに描かれているのだから参考にしたいところであったが、まったくできなかった。どこからか髭生やした農民連れてきて座らせたようで、未だに別人に見える。耳小さいし。

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幼稚園児の頃、新聞のチラシに『キングコング対ゴジラ』のチラシが入っていた。父にせがんで観に行ったのは良いが、キングコングの顔のアップが怖くて耐えられず、父の背中に隠れた記憶がある。大きなスクリーンで怪獣が怪獣大であることの怖さであった。おかげでしばらくどこかへ隠れ、小さな隙間から覗いても、キングコングと目が合ってしまう、という悪夢に悩まされた。 怪獣映画ならともかく、ラブシーンを巨大なスクリーンで観る必要はないかもしれないが、中学生の時に東映系映画館で観た“緋牡丹のお竜”こと藤純子のアップの大顔面の美しさに圧倒されたことがある。それは週刊誌のグラビアとはまるで違う、巨大な美しさであった。 『深川江戸資料館』に展示するテストプリントをチェック。といっても細かいところなどまったく見ず、全体を眺めてただこれはデカイ。と呆れつつ喜ぶのみ。普段4、50センチの人形を作っているが、私こんなことしてたの?という自作品の新たな見え方ができそうである。

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あっちをやったり、こっちをやったり平行して進める方が、気分も変わって良い。村山槐多とエドガー・アラン・ポーの顔の微調整も始める。徳川慶喜も頭部しか残っていないがどうするべきか。このときは徳川家御用達の写真機を私の所有するカメラ(スピードグラフィック5×7アニバーサリー型)を使い捏造するのが面白かった。実際の慶喜は、こんな華美?なカメラを使うような人物ではなかった。カメラもなく、ただ立っていても良いのかどうか。 私の場合、制作した後の展示のアイデアがまったく浮かばない。これはこことあちら、どちらに置いた方が良いか、ときかれれば答えられるが、空間を把握する能力に欠けているようで、最初からほとんど関係者におまかせしている。野球のフライが取れなかったし、ノートパソコンで地図を見るときはパソコンを回転させずにおれないところも関係しているのであろう。頭を悩ませているのは会場の広さもそうだが、多目的ホールで文化祭や絵画教室の発表会のようならないためにはどうすれば良いか、である。大きなプリントが沢山あればそうならない気がしているのだが、どこまで実現できるだろうか。

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次は誰にしようか迷っていたが、手塚治虫にした。これは気球にぶら下がった乱歩同様、造形の段階で遠近感を強調して作ってあり、しかも写る所しか作っていない。当然一カ所からしか見ることができない。乱歩の場合、出品の際は木の箱に入れて見える所を限った。 手塚は子供の頃の少年漫画誌の表紙をイメージしてみた。手塚漫画のジェット噴射はロウソクの灯のようだが、実際ロウソクを撮影して使ってみたら、あきらかに出力不足なので、噴射に勢いを加えた。 こういう場合ちょっと角度を変えたら楽屋裏が見えてしまうくらい裏は何も作っていない。試しに後ろを作り足してみたら、つじつまが合っていて、このまま完成に向かいそうである。つまり前面だけ作った物に背面を作り足した、という訳である。三島の場合は上半身に下半身を作り足したが。まったく他所ではいえない作り方である。 自己流で制作を始めた頃、集中しすぎて前面ばかりが完成に向かってしまい、翌日からは後ろ姿を、ということがしばしばあった。そんな過去の“ヘキ”がこんなことをさせてしまうのであろうか。そういえば長らくコタツで作っていたせいか、離れてバランスを見るという習慣もない。

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一日  


志ん生無事に、ただ座っている状態に。撮影用と展示用では作り方が違う。撮影用は写らないところは作らないし、こういうことをしている所、として作る場合があるが、展示する作品は、できるだけ具体的なことをさせない方が良く、その日の気分によって見え方が変わるぐらいの方が良い。 伊集院静、三島由紀夫、古今亭志ん生の仕上げを同時に進めながら、次に手がける人物を考える。見える所に坂本龍馬の首が転がっている。写真が長時間露光の時代の人物であるから、それこそじっとした姿しか残っていない。そうなると前述の話と矛盾するが、何かしている所を作りたいが浮かんでこない。作るかどうか微妙なところである。村山槐多は初期作品にかかわらず、色々な場所で撮るつもりで撮影用にしか作っておらず、首しか残っていない。写真作品はずいぶんあるので人形も出品したいところ。九代目團十郎は衣装を考えると、今の段階では負担が多すぎる。迷う。

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志ん生制作中に手が止まる。私からすると人形はできるだけ無表情が良く、動作もほとんどない方が良い。見る側からすれば想像力の働く余地があるだろうし、被写体として考えても、どうこうしているところより、撮影のしようが広がるからである。志ん生は多少表情があるが、晩年の病気で倒れた後の志ん生で、高座で膝の上に両手をただ置いている。という予定であった。しかし志ん生といえば酒である。酒を口に運ぼうとしている格好をさせたい、という気が押さえがたくわいて来る。作りたいのを我慢し、髪を切ったりして、時間をつぶしながら胸に手を当ててみると、どうやら志ん生のCDを流し、酒を飲んでいる志ん生を眺めながら酒を飲んでみたい、という“邪念” が迷わせているようである。そんな趣味に作品を付合わせるわけにはいかない。初志貫徹。ただ正座している怖い顔のお爺さんでいくことにする。

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多少の手直しを含む作品もあるが、ほとんどすぐにでも展示可能なのはざっと。江戸川乱歩、横溝正史、泉鏡花、寺山修司、三島由紀夫、永井荷風、ジャン・コクトー、円谷英二、柳田國男、宮武外骨、向田邦子、森鴎外、松尾芭蕉、谷崎潤一郎、ロバート・ジョンソン、ブラインドレモン・ジェファーソン、夢野久作、オスカー・バルナック、『古石場文化センター』から小津安二郎。『町田文学館ことばランド』からは日影丈吉を借りる。  制作中なのが伊集院静、古今亭志ん生。神奈川近代文学館の漱石展と展示期間が重なるので、できれば夏目漱石をもう一体作りたいし、手塚治虫、村山槐多、九代目市川團十郎、エドガー・アラン・ポー、セルゲイ・デイアギレフ、ヴァスラフ・ニジンスキーも完成させたい。そんなことをいっていられるのも、一番時間がかかる頭部がすでにあるからである。目標は30体。乱歩、コクトー、荷風、三島など複数体展示できる可能性のある作品もある。 これを機会に以前からいっていた、ビートルズの『サージャントペパーズ』のジャケットのように、作って来た連中を一同に集めたカットを作ってみたい。脈絡も何もないので発表する予定はないけれど。

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三島の仕上げをしながら伊集院静の乾燥が終わり、こちらも仕上げに入る。次は気分を替えて古今亭志ん生にしようと思う。いつもは粘土感丸出しで作っているが、気まぐれにリアルに作ってみようと試みた作品である。これは『中央公論Adagio』用に作った作品だが、特集場所の本所に再開発により適当な場所がなく、特集場所でない木場の『河本』を使わせてもらった。志ん生の十八番『火焔太鼓』の甚兵衛さんが太鼓を届けに行く途中で飲んでしまっているの図である。これも志ん生、火焔太鼓、共に写る部分しか作っていない。 志ん生は湯のみに手を伸ばしているが、本来下に載せたお銚子にガラスコップであった。入稿後ホッとしていると編集長から電話。発行元の交通局から飲酒表現はNGだと連絡が来たという。編集長は担当相手に頑張ってくれたようだが、しまいには都知事の判断を仰ぐ、という笑い話のような話になった。こいつは面白いと内心思ったが、当時銀行問題でそれどころではないという結末に。湯のみにしたところで志ん生がお茶を飲んでいると思う人はいないだろうが、替えさせた、ということで収まったのであろう。これに懲りてNG表現はなんなのか、事前に聞いておきたいとお願いしたが、具体的にはウニャムニャ、と要領を得なかった。

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神奈川近代文学館で3月15日~5月22日『100年目に出合う夏目漱石』がある。私も漱石像を出品するのだが、制作当時から、漱石の鼻筋について一人でああだこうだいっていた。漱石のトレードマークといっても良い高い鼻は、眉間から真っ直ぐ伸びている。銅像その他、漱石像はみんなそうしている。しかし写真をじっと見ていたら、もやもやと修正の跡のように感じられる部分があった。当時はネットで検索してもデスマスクを真横から写した画像はなかったが、『夏目漱石デジタル文学館』の遺品ほかにデスマスクがあり、真横から撮影したわし鼻を見ることができる。背景の鼻筋まっすぐ漱石と比べると面白い。名前は忘れたが、撮影者は私がオイルプリントを手がけるきっかけになった野島康三の弟子だったと思う。巧妙な修正にも私は引っかからなかったぞ、と喜んだ。以前も書いたが、写真師が被写体に対して無断で修正するはずがないだろう。まして相手は有名作家である。 たかが鼻筋ではある。こんなことに関心を持つのは私くらいかもしれないが、しかし写真師に命じてたかが鼻筋を修正させるような人物だと思うと、神経衰弱や胃病に苦しんだのも判る気がするのである。

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一日  


三島の首の向きを少し変えたので、顔が真横の状態で“背なで泣いてる”唐獅子牡丹がかなり見えるだろう。これは創作物だし、まさかとは思うが刺青を入れて日本刀を持っている作品が展示不可という可能性はないだろうか。担当者は作品が出来ていないせいもあるが、まだ明確には答えてもらっていない。ヌードは毛が出ていなければ大丈夫と聞いているが。現在刺青に対する風当たりはかなり厳しいようである。TVでは清原の刺青も規制がかかっていたし、昨年末の格闘技戦では山本キッドが着衣で戦っており、試合後のインタビューでは、脱いだ着衣をあきらかに着させられていた。その時は何か放送禁止用語でも彫っていたのか、と思っていたが、刺青自体がいけないらしい。 海外はともかく、日本では羽織の裏の柄のように、本来見えないところに彫るものだったろう。深川の祭りでも現在は刺青を見せてはいけないらしいが、昔は深川のいかだ職人は水死した時、刺青で身元が判った、とTVでやっていた。 個展も迫っているというのに、ひょっとして展示できない作品に時間をかけるのもどうだろう。早々に仕上げて次に行かねばならない。

 

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三島はビルドアップされた身体を作ったが、目撃談によると元々華奢な骨格の上につけた筋肉は威圧感はなく、バランスも悪かったという。そのせいか着痩せする。よってすぐ裸になりたがる。でかい石原慎太郎との対談でも裸になって比べよう。とムキになっている。 三島が気にしていたのは脚の細さである。それを指摘されると顔色が変わった。(蟹を見ても変わった)自衛隊の体験入隊でも腕立てや懸垂は若い隊員にひけを取らないが、走りとなるとついていけない。そのせいであろう。撮影した写真家は上半身だけを撮ったり、下からあおって脚の細さをカバーしているように見える。その点週刊誌の取材写真だとそこまでは考慮されていないのであからさまである。 本人がミスター腹筋だ、と自負していた腹筋は、切腹に憧れた三島であるから特にこだわりがあるのだろう。せっかく作ったが、サラシを巻いて隠してしまった。サラシは昔は下着代わりだったそうだし、浴衣でもないかぎり裸の上に着物はおかしいだろう。特に出入りの時は刀から腹部を守る意味合いもあったようである。本当の事はどうでも良い、という私ではあるがイメージが高倉健『昭和残侠伝』の唐獅子牡丹であるから“断腸”の思いでサラシを巻いた。

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上半身をはだけた場合の着物の様子をを撮影させてもらったので、参考にして三島の下半身を付け足した。撮影用のつもりで上半身だけ作ったのに気が変わってしまい、まったくひどい作り方である。しかし独学者には反則もなにもないので、なんら普段と遜色ない状態で、朝方の5時にはいったん乾燥させるところまでもっていった。 日本刀を持ったヤクザが上半身を脱いで見得を切っているのである。まったくいったい何を作っているのだ、と思いながらも夜中に湧きあがる快感を抑えがたい。 ここでまた気が変わり始める。三島の上半身だけを大きく配置するつもりでいたが、作ってみたら下の方まで入れたくなってきた。となるとスペースを空けて、主役を待つばかりで待機する4人の配置も変えなければならない。いずれにしても個展『三島由紀夫へのオマージュ 男の死』で構想はあったが断念した作品がようやく形になる。 作家シリーズを最初に考えたとき真っ先に浮かんだのが、尻っぱしょりの江戸川乱歩が屋根裏でこちらを見ている図であったが、実現したのは7、8年後であった。子供の頃、頭に浮かんだイメージはどこへ行ってしまうんだろう、といつも思っていたが、何年経とうが頭の中から取り出して可視化すれば、“やっぱり在ったな”と納得し、そして終わる。

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二千年より始めたホームページだが、リニューアルするつもりが、放ったらかしのまま。結局とりあえず元に戻した。 プロバイダは一度かえたが、以来ずっとそのまま。今はもっと安くなっているのではないか。友人に聞いて判った。そもそもがNTTの回線を使っていたのだが、固定電話など使っていのに、そのままにしていた。固定電話が当たり前の時代であったから、そういうものだと思い込んでいた。何年も無駄な金をはらっていたことになる。このアドレスは今年一杯の予定である。リニューアルはまだ先になるだろうが、まずデータの移行を考えるとウンザリだが、やっている音楽はアナログだが仕事はデジタルな友人Tさんに、変換の方法があると聞いてホッとした。 来年、神奈川近代文学館で夏目漱石展がある。出せる物をできるだけ出そう、という深川江戸資料館の個展とかぶってしまうが、漱石像を出品することになりそうである。漱石といえば、まっすぐだと思っていた鼻筋が実はジョン・レノンみたいになっていた。私はそのことばかりいっている。お札にまでなった人の眉間からまっすぐ延びた特徴的な鼻が、イメージと違ったとなれば、大変なことだ、と思うのだが、考えてみれば、作家の顔にああだこうだ考えるのは私くらいかもしれない。書籍のどこに使われたか忘れたが、太宰治の風でなびいた髪に、背景の草木の選択間違いで、頭に大きな土瓶だかサックスのケースだかを乗せて喜んでいる太宰。みたいな写真が使われていて、ネットで話題になっていたが、これでは女にモテナイと太宰もがっかりだったろう。 漱石の鼻については、あまりに誰も気にしないので、私の妄想ではないかと思うくらいだが、江戸東京博の漱石展の一週間前にフリーペーパーで漱石が表紙になるので、鼻が怪しいからと、(そもそも街に貼られたこの漱石展のポスターの拡大写真を見て、修正跡を感じた)面識のある職員に出品されるデスマスクを横から撮って欲しいと頼んだが不可。危険を回避して正面を向かせた。会場で鼻を確認し、自転車飛ばして帰宅後すぐ鼻を削った記憶がある。

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久しぶりに麻布十番の田村写真へ。湿版写真を見せてもらったが、完成度がさらに上がっており、当時の写真師とまったく遜色がないように思える。田村さんとは付き合いも随分長いが、相変わらず感心するのは物の見え方である。 先の話になるが、来年の深川江戸資料館レクホールの個展は、会場が広いので、並べられる作品をできるだけ、とは思っていたが、画廊と違って多目的に使われるスペースなので、展示の仕方によるとダサくなる可能性が高い。しかし一つだけ、広さとさらに天井が高いのを利用し、作者である私も見たことがない展示にする方法がある。人形を人間大に拡大したプリントである。これはサンディエゴの写真美術館の館長にそうしろ、といわれたことがあったが、その時はそうおっしゃられても、と苦笑するしかなかったが、この展示が決まった時に田村さんにもいわれた。 私は常に人間を撮るつもりで撮影している。(人間に見えるようにとは違う。私にとって必要なリアル感さえあれば粘土丸出しで良い。)そう思うと、人間大になった時、それでないと出てこないイメージが在りそうである。作家シリーズを始めた頃、江戸川乱歩が気球にぶら下がっているプリントを田村写真で始めて見た時『私はこういう事しようとしてたのか。』と思ったのを鮮明に覚えているが、あれを私自身がもう一度味わうとしたら、人間大プリントではないたろうか。 資料館にはホールがある。そこで以前世田谷文学館でやった乱歩作品のスライドを流しながらピアノ演奏と朗読の再演と『貝の穴に河童の居る事』を予定している。しかし河童の朗読を当初予定していた今拓哉さんがスケジュールが合わず。ずっと考えていたが、田村写真からの帰りの電車内で突然思いついた。スケジュールは空いている。果たして快諾が得られるだろうか。 河本にて日影丈吉の立像を披露。頭部はよくポケットに入れて持っていくが全身像は久しぶりであった。

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