明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、インスタで臨済義玄が臨済宗開祖にも関わらず、投稿が100未満というのを知り驚いた。このままでは私の臨済義玄だらけになってしまう、投稿を控えようと思った。 しかし考えてみると、臨済宗に先達の肖像を残す、という習慣が生まれたのは開祖以降、ずっと後世のことである。余りにも見つからないので以前、中国の検索エンジン百度で検索したら目新しい物は出て来ず、中国作品を元にしたはずの曽我蛇足の作も出てきた。検索の仕方が悪いんだろう、とその時は思ったのだが、無い物は投稿のしようがない。 無い物は撮れない写真の欠点をカバーするために考えられたのが石塚式念写術である?例え世の中に存在せずとも、ひとたび私の頭の中に浮かびさえすれば撮れる。多少手が粘土で汚れるが。インスタを私の臨済義玄だらけにするのもオツかもしれない。

 



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