~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

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内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

幕末京都VGさんへのご案内~レベル高いウォーキング~

2013-03-07 16:59:30 | 家康伊賀越え
『家康の伊賀越え』逃走路のウォーキングを開催されている幕末京都VGさんに、5月本番の下見ということで、三山木~飯岡~草内をご案内した。

結局訪ねたところは、山本集落、竹取翁博物館、環濠、山本の驛、寿宝寺、鶴沢の池跡、梅雪の墓、飯岡車塚古墳、蓮華寺跡、飯岡の渡し場、豊田武兵衛の碑、草内の渡し場、咋岡神社、法泉寺ということになってしまった。特に、法泉寺では、住職の息子さんに本堂まで開けてもらい十一面観音像を見せていただいた。

それにしても、参加された皆さんは、大変良く勉強されているとともに、いろいろな現地にも行かれて多くのことを知っておられた。こちらの説明も熱心に聞かれ細かにメモをとっておられた。

このウォークに関する武田家、梅雪の死、家康の行動など、相変わらず謎は多く、各人がそれぞれ持っているおられる情報が飛び交いそれなりに面白く、レベル高いウォーキングであった。



凄い!松阪市長の山中光茂さん~これぞ、地方首長~

2013-03-07 04:52:30 | 人物・人材

■1月末に松阪市長選が行われ、再選された37歳の山中市長。
従来の上や有力者との癒着型地方行政をまさにぶっ壊し、市民のための市民による改革を自らを犠牲にして数々の成果を上げている。先進的な全国各地の市長さんも応援し、注目されている。今回も選挙運動はせず、少人数の市民が少々の運動をしただけである。選挙後彼が述べた言葉には今でも続々と賛同の声が上がっている。「こういう地域を創り上げたいんだ」と市民は思っているのがよくわかる。全国の地方首長さんがた是非大いに学んでいただきたく思います。以下、2/17の山中さんの声です。

■皆さん、おはようございます^^
市長選挙が終わってから、早くも3週間が経ちました。

フェイスブックでの当選報告も、応援をしていただいた方々へのお礼参りなどもまったくないままで、申し訳なく思っております。
この3週間はきっちりと市役所に詰め込まれて、4月から始まる本格的な予算査定や次年度以降の政策整理、人事評価などで「働きロボ」のように過ごしておりました。。。。

今回の選挙を通じて、「私は幸せな人間だ」と感じ、「幸せな時間」を過ごさせていただきました。

まずは、4年間素敵な市民の方々と一緒に汗を流して地域づくりに関わらせていただいたこと、職員さんも一生懸命汗を流してきていただいたこと、多くの全国の魂のある自治体市長村長や企業関係者、ボランティア団体などが松阪市とともにいろんな連携をしてくれたこと、市長として感謝と幸せを感じ続けられるときを過ごせました。

なにもかもが未熟で若輩な市長を支えてくれたのは、松阪市を前に進めようとする「市民力」と「魂と心の連携」でした。

4年前も今回の選挙も私との対立軸においては、既存政党、ほとんどの市議会議員、各種業界団体が「オール松阪」という言葉を用いて、徹底した大規模組織による人的動員も含めた「一体感」を持って選挙戦が繰り広げられました。

その一方で、私は生意気にも「選挙運動はしない」と公言をしておりました。前回の選挙が終わったのちに、後援会組織は完全に解散をして、名簿も残っておらず、選挙を行うようなお金もない、そのうえに公務で各地域は4年間精一杯回っていても、「政治家」として応援いただいた方々と懇親をしたり、御礼をいったりということは一切していなかった4年間でもありました。(付き合いが悪いので、4年間近しい方とも団体などともお酒の席などにはほとんどいっておりませんし。)

そんななかで、「選挙」が近いからといって、いろんな方に「選挙をお願いします」と頼めるような状況でもありませんでした。そんな頼めるような確固たる「組織」もありませんでした。そして、4年間市長としては、市民の方々と直接面と向かって話し合う機会を持ち続け、自分自身のことや家族のことを考える余裕なく、今と次の世代の松阪のことだけを考えて未熟ながらも自分のできる限りの「市長職」を全うしてきたというプライドもありました。

そんななかで、完全な「市民団体」の数人が立ち上がって、「市長が選挙しないなら私たちで」というかたちで、市民による政治活動が始まりました。おそらく、選挙などはまったく知らない方々だったでしょう。私も公務に集中していたので、選挙のノウハウを教えることも、ない名簿を出すことももちろんありませんでした。
11月の末ぐらいに空き家を無料で借りたらしいのですが、12月に入っても日中に前を通りかかってもほとんどあいていることがありませんでした。後日談としてきくと、1月まではボランティアで動く事務員さん一人にいてもらうことも難しかったということでした。

それでも、次第に人が少しずつ集まるようになってきたのでした。私が4年間どのような市政をしてきたかというビラを独自に創っていただき、みんなで多くの方へ配っていただいたようです。

12月後半から1月に入ってからは、公務が終わってからときどき各地域での集会を段取りをしていただけるようになり、ゆっくりと市民の方とこれからの松阪市についての思いを話す機会もできてきました。
そして、地域外から陸前高田市の戸羽市長をはじめとして、全国から多くの市長さんや市議会議員の方々、企業関係の友人たちが連日、市民団体が創った軽自動車の街宣カーで演説を繰り広げてくれていました。
南砺市の田中市長や京丹後市の中山市長などは、わざわざ全国の首長の方々に松阪市長選挙を応援しようというメッセージ文をつくって投げかけていただいておりました。

私が「選挙運動をしない」というわがままを通しているなかで、市民の方々が一生懸命、それぞれの仕事を休んでまで「市民運動」をされている姿をみるなかで、私も1月の後半からはその運動に巻き込まれるかたちのなかで、一緒になってこの運動を進めていくことが次の4年間の松阪市政につながるんだという確信も持てるようにもなりました。

とはいえ、選挙期間中も市役所においてじっくりと予算査定をしていたり、市の中心部から2時間近くかかる奈良県境の地域に向かい10人ほどの地域の方々と2時間ほどお茶を飲み、地域特産品をたべながら街づくりについてのんびりと語り合っていたり、決して焦ることなく、4年間続けてきた地域や市民とのかかわり方を変えることはありませんでした。

市民団体の事務所には、電話回線も一本しかなく、名簿などもありませんので、集会への動員や選挙の投票依頼の電話なども一切しておりませんでした。それにも関わらず、最終日に松阪駅前に集まった市民の数は優に500人を超える人数であり、忙しい中駆けつけていただいた佐賀県の武雄市長の勢いのあるシュプレヒコールとともに集まった市民みんなで商店街を歩き続ける姿には歩きながら涙がとまりませんでした。マイクを渡されても、感動で言葉がでてきませんでした。

正直、投開票において当選が決まった瞬間よりも、前日に市民の皆さんと一緒に歩いていたとき、市民運動、市民改革に自分自身が加わっているという実感があったとき、みんなでまちを創っていくんだという市民の気持ちに触れていたときに、もっとも大きな感動を持たせていただいておりました。

今回の選挙戦というより「市民運動」により、もたらされた選挙結果には私はあまりにも大きな「重責」を感じています。だからこそ、選挙後フェイスブックにも簡単には自分の気持ちを整理して「報告」ができませんでした。

市民自身で創りあげようとしている松阪市、それを行政や政治が壊すことは絶対にできません。この選挙の期間に私が訴え続けてきたのは「市民の役割と責任」ということでした。いう必要がなかったぐらいの選挙でしたが。私たち行政もこれまで以上に汗を流していきますが、皆さんも一緒に汗を流してください、ということでした。みんなで一緒になって汗を流しながら、お互いの痛みにも幸せにもみんなで寄り添いあえるまちを創っていきましょう、という思いを述べ続けました。

行政は、これまで以上に地道に「税金を1円たりとも無駄にしない」改革を進めます。でも、「冷たい改革」ではなく、「1%の痛みにも寄り添える」そんな「暖かい改革」「現場に根ざした改革」を市民の皆さんに早い段階で情報公開し続けて、一緒にワークショップやシンポジウムをし続けて、地域では住民協議会での議論もし続けて、みんなで「改革」を進めていく、それが松阪の「市民改革」だと確信しています。

今日よりも明日がもっとみんなで笑顔になれるように。今日よりも明日がもっとみんなで寄り添いあえるように。そんなまちを次の世代まで届けていけるようにみんなで頑張りましょう!
いつも幸せです^^みんなで前に進んでいけるから。

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