~こころ豊かな愉快な生き方を求めて~

サスティナブルな世の中で幸せの笑顔が満ち溢れますように
内容:地域活性化、歴史探訪、パソコン、野球

超田辺勉強会で、「京田辺の魅力と活性化」についてお話します。

2019-07-12 11:01:01 | 講演会
未来につながるまちづくりを目指して、超田辺集団が、上村崇氏を担ぎ出し、4月新京田辺市長が誕生しました。
この度、京田辺について、もっと深く知り学び、日本一素晴らしいまちづくりのための勉強会を行います。
そこで、当方に依頼があり、お話をすることになりました。
・日時:7月20日(土)14:00~15:30
・会場:中部住民センター「せせらぎ」  無料
・テーマ:『京田辺むかしといま』
 当方の話の内容は、つつきはっけん「京田辺の魅力と活性化」です。

 他にも、元と前市会議員の方がお話しをされます。

 

  

久しぶりの甲子園、今年は、もう終わったようです??

2019-07-11 13:05:49 | プロ野球
昨日は、突然、甲子園に行くことになりました。実は、この1週間は、阪神断ちを行っていて、中継や新聞のスポーツ欄も読まず、何も知らずの、精神的に平和な日々でした。開門と同時に、打撃練習や、応援団と一緒に歌うファン、売り子の愛嬌ぶり、座席周辺の会話を聞きながら、ゲームとは異なるものばかりを注目していました。昨年も阪神を強くする提案を新聞社に投稿し、掲載されましたが、相変わらず、何の改革・改善もなく時が経過、今年もすでに終わっています。前日、試合に負けて、活躍もしないのに、カレー1年分が新人選手に贈られる、こんなことでは、最も必要なハングリーさが身につかず、選手を潰してしまいます。チャンスに打てず、ピンチに弱い伝統をまたしても、引き継ぐ監督・コーチ・選手には、球団組織としての大改革が必要です。これは、またあとで。


『つつきはっけん百回記念の集い』のご案内

2019-07-10 11:05:54 | つつきはっけん
 『つつきはっけん百回記念の集い』
暑い、夏真っ盛りの時期になりました。お変わりございませんでしょうか。
さて、7年前から、地域活性化を目的に、始めた「つつきはっけん」イベントも、本年10月で百回目を迎えます。そこで、今まで、ご参加、ご支援・ご協力をいただいた皆様方に、感謝を込めて、百回記念の集いを開催することになりました。
【日時】 2019年10月16日(水) 11~15時
【会場】 TANADAピースギャラリー
(京田辺市宮津宮ノ下33 三山木駅徒歩8分、近鉄宮津駅徒歩5分、駐車場なし)
【内容】 1.集い (今までご参加の方 40名)
 ①つつきはっけんの思い出(資料展示、写真、動画でご紹介) 
 ②個人の時間 (自己紹介、親睦交流おしゃべり)
 ③皆でゲーム・クイズ
 ④演奏と歌、皆で合唱
 ⑤その他 サプライズ
 2.展示閲覧 
【飲食】  お弁当(持参、または当日注文)、お菓子、飲み物、各自持ち込み自由
【参加者】 40名 、展示閲覧は、出入り自由
【参加費】 無料 
【その他】 準備やあとかたづけの手間をできるだけ省きたいです

※準備物  
 講座・ウォーク 資料ファイル、写真・動画、パネル、横断幕・幟旗
 配布資料、イベント一覧表、ご案内ポスター・チラシ、報道関係者
 ゲーム・クイズ・演奏・歌関連(内容・担当)

 現時点での企画・準備内容です。勿論、変更もありです。   
     

久しぶりの奈良、春日大社、東大寺、興福寺、…ただ、中国人のマナーは???

2019-07-09 15:55:35 | 観光
久しぶりに奈良に行ってきました。ついでに、興福寺、春日大社、東大寺、奈良ホテル、元興寺、なら町、猿沢の池、を、巡ってきました。歴史に関心もなかった時とは、雲泥の差で、各か所の観光地が大変興味深く感じる、5時間でした。幾つかの発見の中で、東大寺南門の向かって左側には、松永・三好連合軍と三人衆・筒井連合軍の銃撃戦の弾痕跡が残っているというので、案内所の方にわざわざ案内していただきました。また、家康が立ち寄った、漢国神社の話も聞きました。ウイークデイで、時間の余裕があった、その若手の英語専任の案内人から、さらに多くのことを教えていただきました。そうなんですね、案内人やガイドの方は、TPOに応じて柔軟にお話しできる幅広い知識と対応力が必要であると思いました。それにしても、観光客の中国人のマナーがいつも気になります。





本の整理~「松下幸之助」人生学・経営学~

2019-07-08 03:03:11 | 読書
またまた、断捨離やっています。1昨日から、本棚の整理をしだしました。案の定、出版物の中身を見ると、もうほとんど進みません。それでも、コンピュータ関係の出版物は、30年前は、LAN・マルチメディア関連、20年前は、インターネット関連が多いのがすぐにわかります。40年前の、汎用コンピュータ時代のオペレーティングシステムについては、コンピュータの基本ソフトウェアの仕組みですから、これは、まだまだ、保管ということになりました。ビジネス書も随分、ありますが、ほとんど「つんどく」だったかな。そして、やはり、捨てられないのが、「松下幸之助」の人生学・経営学です。これは、よく読み鍛えられました。


伊賀越えイベントが増加~南山城全体の文化観光資源に仕立てていくために~

2019-07-07 07:57:35 | 家康伊賀越え
「家康伊賀越えの道」をたどるイベントは、来年のNHK大河ドラマの明智光秀の影響か、各地で開催されだし、つつきはっけん『神君伊賀越え』イベントを主催する側としても興味深い。京都ウォーキング協会、SKYシニア大学、お茶の京都DMO、に加えて、宇治田原町主催で昨日ウォークが行われたことが京都新聞に掲載されている。実は、各団体の方々は、当方の講演・講座を聴かれた受講者である。その時に、質問や疑問点にお答えした人で、良く覚えている。それだけに、この伊賀越えをどのように、編集して、ウォーキングされているのかをお聞きしたいものである。現場を知らない、著名人が自己の考えで伊賀越えルートを作りなおして、視聴者に、面白おかしく主張するようなことだけは避けていただきたく思っている。特に、各地に口伝えに伝承されてきたものには、要注意である。山城広域振興局や南山城の市町村や観光協会などに、「南山城の伊賀越えシンポジウム」を提案し、少し動き出してはいるが、??はっきり言って、面白ければ楽しければの要素が強い。まずは、他に発表されていないコトやモノを探し出し、公に発信するような共同活動こそが、大切だと思う。そして、その次に観光事業や産業につないでいくストーリ展開をすれば、「神君伊賀越え」が大きな文化観光資源にも発展するものである。

講座の録音を聞くと、恥ずかしく申し訳ない。

2019-07-06 17:24:43 | つつきはっけん
地域活性化活動の一区切りとして、百回記念イベントを計画し、色々企画調整に入っているが、今までの講座やウォーク資料の整理や動画、写真を見ていると、その場面が懐かしく、あっという間に時間が経過していく。講座での、録音を聞いてみると、やり始めたころの下手な話が恥ずかしくなる。こんな話し方では、聞いている方々は、面白くなかったのではないかと思う。よくぞ、積極的に、色々な場に出ていったものだと、苦笑してしまう。その根底には、何か世の中に少しでも役にたちたいという気持ちがあったからこそだと思うのである。

「きくち体操」は、確かに体に良いと思います。

2019-07-05 05:29:29 | 健康
『きくち体操』をあらためて知り、ここ数日、時間があればやっている。手足指の末端を力強くにぎり、刺激を与え、指、腕、肩、心臓や背中につながっていることをしっかりと意識しながらやることに意義があるとのこと。確かに、強く握って、放すと、血液が末端から、つながっている部分に流れていくのが何となくわかる。ただ単に体を動かす運動は、その効果もないということも菊池和子先生の言葉からよくわかる。85歳とは、思えない若さ、姿勢、そして、考え方、大いに学びたく思っている。こんなスーパーウーマンがいらっしゃることに、快い刺激を受けている。

世間話を、40分もよく聞き続けたものだ。

2019-07-04 17:30:18 | 暮らし
夕方、近所の奥様から旅行に行ってきたということで、お土産をいただいた。いつも、近所の方々に、あることを続けており、それが大層気に入られているらしく、そのお礼だというが、大したことはないので、言うに足らずのことである。かえって、悪いみたいと家人と話しているが、野菜などもいただくこともある。それから、40分ぐらい苦手な世間話のオンパレード。家族のことや近所のことをずっと聞かされた。それにしても、よくうなずきながら、聞き続けたものだと自分でも感心してしまっている。

中景とのかかわりを大切にしなければならない。

2019-07-03 11:41:34 | 今思うこと
我々が見るもので分類すると、遠くは、遠景、近くは、近景。社会一般に照らし合わせると、世界や国家は、遠景。家族や友達は、近景。その中間にあたるものが中景という。この中景が気になって1か月たつ。社会では、地域、コミュニティ、会社、大学、寺社、組合などとのこと。現代人は、日ごろ接点があってしかりのこの中景とのかかわり具合に個人差ができ、社会的な価値観や問題についても、おのずと、考え方や行動に格差が生じてきている。それをダイバーシティ時代だと生き方の自由を主張をする人々が増えている。なんか自分勝手族がますます増えてしまい、世の中何でもありの時代が到来し、社会混沌状態に突入するのではないのだろうかと危惧してしまう。神棚と仏壇に手を合わす日々を送っても、お寺や神社へのお参りは、機会がある時しかしなくなった、自分もその一人で、知らず知らずに毒されて生きているのではないかと思うのである。

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