韓国人スター、ジョンフンの「ファンの集い」
に参加するために上海に行った母だが、実は
上海には従兄弟が単身赴任している。彼の
案内で、博物館に行ったら、「日本の軍刀が
展示されていた」とのこと。
私の父も、昭和16年から4年間、陸軍少尉と
して、中支、南支を転戦した。父の『従軍記』
を読むと、父は主計(食料、衣料など物資の
調達係り)だったため、多くの中国人を雇い、
親しくなっていた。終戦とともに、父の部隊は
武装解除することもなく、中国人に守られて
逃避行。最後は軍刀を首長にプレゼントして、
船を出してもらい、上海まで引揚げることが
できた。その刀は、父の祖父が、会津戦争
に佩刀し、命救われた刀だった。父は「自分
もこの刀に命救われた」と書き残している。
その刀の行くへを探したいのだが、あるいは
ひょっとして、という気もする。母は父の軍刀
に呼ばれたのかも、と。
私の心の中では、まだまだ日中戦争の負い
目があるからか、今中国がチベットに対して、
していることには、複雑な思いである。歴史
は繰り返されるか。
に参加するために上海に行った母だが、実は
上海には従兄弟が単身赴任している。彼の
案内で、博物館に行ったら、「日本の軍刀が
展示されていた」とのこと。
私の父も、昭和16年から4年間、陸軍少尉と
して、中支、南支を転戦した。父の『従軍記』
を読むと、父は主計(食料、衣料など物資の
調達係り)だったため、多くの中国人を雇い、
親しくなっていた。終戦とともに、父の部隊は
武装解除することもなく、中国人に守られて
逃避行。最後は軍刀を首長にプレゼントして、
船を出してもらい、上海まで引揚げることが
できた。その刀は、父の祖父が、会津戦争
に佩刀し、命救われた刀だった。父は「自分
もこの刀に命救われた」と書き残している。
その刀の行くへを探したいのだが、あるいは
ひょっとして、という気もする。母は父の軍刀
に呼ばれたのかも、と。
私の心の中では、まだまだ日中戦争の負い
目があるからか、今中国がチベットに対して、
していることには、複雑な思いである。歴史
は繰り返されるか。