現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

小室哲也逮捕

2008-11-04 16:36:29 | 社会問題
小室哲哉プロデューサー逮捕へ=4日、著作権売却で5億円詐取容疑-大阪地検(時事通信) - goo ニュース

今朝NHKニュースのトップが「小室哲也逮捕」。
芸能音痴の私でも“小室哲也”の名前ぐらいは
知っていた。人気絶頂のアーティストと思っていた。

90年代、小室容疑者は、安室奈美恵や華原朋美
といったアーティストに楽曲を提供し、CDが
100万枚を超えるミリオンセラーを連発。
96年97年連続、納税者番付全国4位。年収は30
億円を超えていたという。それがなぜ????。

『倫風』誌11月号だったか、上広会長の言葉、
「貧乏人が破産するとは限らない」。なるほど
である。

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芸どころ名古屋

2008-11-04 16:01:23 | 虚無僧日記
NHKの「なごや芸能音楽祭」では、さかんに
「芸どころ名古屋」をアッピールしていた。

尾張藩主のお抱えで、京都から和泉流狂言師が
来た。8代将軍吉宗の質素倹約を旨とする「享保の
改革」に対抗して、尾張藩主 宗春公は、庶民の
遊芸を奨励し、経済の活性化を図った。大須の
町並を描いた「永享絵巻」には、各戸で庶民が唄、
三味線、踊り等を習っている様が いきいきと描か
れている。

名古屋には虚無僧寺は無かったのに、二人連れの
虚無僧も描かれている。

今も、ちょっとした旧家には、嫁入り道具の一つ
として持参した琴と、琴を入れておく紋入りの漆
塗りの桐箱が、床の間に飾られている。

そして、現在も、NHK始め、中日、毎日、朝日の
各新聞社がカルチャー教室を開いており、その講座
数は1,000は超えるだろうか。「けいことまなぶ」と
いう情報誌も売れている。やはり、名古屋は芸どころ。
名古屋だから、尺八家としても やっていけるのだ。

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狂言

2008-11-04 08:37:38 | プロとアマ
NHKの「なごや芸能音楽祭」は、今井検校の「平曲」
だけでなく、野村小三郎の狂言「鈍(どん)太郎」と、
トークショウがあった。こちらは琵琶を上回る観客数。
後方での立ち見も出た。おっかけファンもいた。

室町時代、踊り念仏宗の時衆(宗)の徒によって発生した
能楽は、当初「申(猿)楽」と呼ばれた。猿真似などと
いうように、滑稽で娯楽的なものだったのだろう。

それが、観阿弥・世阿弥父子によって能楽として大成し、
一休の感化もあって、能は時宗から禅的なものに変わって
いく。
そして近世、大名の庇護のもとに、支配者層の中で能が
流行する。
つい30年ほど前までは、能が主流で、狂言は 幕間の息抜き
のような扱いだった。
それが近年、主役に躍り出てきた。和泉元彌の「和泉流宗
家詐称」のお騒がせ事件のおかげもあるが、野村万斎の
TV出演や創作活動もあって狂言は、世間一般に認知される
こととなった。

というわけで、和泉流の正統が名古屋にあると知った。
名古屋は、尾張徳川家の庇護の元に「和泉流狂言」が
伝えられた。そして、世襲の専業ではなく、他に仕事を
持つ“旦那衆”によって、その正統芸が伝承されている
のが名古屋の特徴だ。
旦那衆の素人芸と思ったらとんでもない。玄人はだしと
いうより、それを超えるすごい芸なのだ。

私は、名古屋にきて初めて狂言の面白さ、すごさを
知った。江戸時代は、大名や一部高禄の武士階級だけの
ものだったから、狂言愛好者は千人程度だったろうか。
それが今、狂言鑑賞は庶民に広がり、その人口は数百万人
という。能・狂言は、600年の歴史の中で 今が最盛期
なのだそうな。

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琵琶と尺八

2008-11-04 06:54:41 | 尺八・一節切
尺八と琵琶は共通項がある。共に中国から伝来し、
奈良時代には雅楽の楽器として使われていた。
それが平安時代には雅楽の楽師から庶民に移り、
室町時代、仏教と結びついた。琵琶は盲目の琵琶法師、
尺八は暮露(ぼろ)や薦僧(こもそう)=虚無僧といった
非僧非俗の者が生活の糧を得るための道具となった。

琵琶法師が語る『平曲』は、平家物語に流れる仏教的
無常観を世に広めた。それは盲目の人が語ることに
よって一層悲劇的感傷を増したともいえる。

一休は琵琶法師が語る『祇王』の段を聞いて号泣し、
悟りを開いた。その後一休は尺八を友とし、尺八の
中に「普化の禅」を見出し、薦(こも=乞食)や浪人衆の
間に尺八を広めた。そして尺八をもって渡世の生業と
する虚無僧が生まれたと私は考えている。
虚無僧は、「普化宗」と云う教団を作った。
盲人たちも「当道職屋敷」という集団を作る。その頂点が
検校(けんぎょう)、そして勾当(こうとう)、座当(ざとう)。
盲僧琵琶の人たちは、江戸時代になると三味線や琴も
弾き、それを婦女子の稽古事として教えることで収入を
得るようになった。琵琶法師というより琴・三絃の師匠と
いうのが主流になっていった。

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平家琵琶の今井検校

2008-11-04 06:51:07 | 筝尺八演奏家
虚無僧の普化宗も盲僧琵琶の当道職屋敷も明治4年、
太政官布告によって廃止される。廃止されたはずだが、
今もって続いているのだ。
その最後の一人となったのが名古屋の今井勉検校。今井氏
は、名古屋の箏曲「国風音楽会」を代表し、三曲協会や
お琴の会で、しょっ中お見かけする。名古屋人にとっては
身近な存在だ。それが「平家琵琶」を受け継ぐ最後の一人
として人間国宝に認定され、俄然脚光を浴びるようになって
きた。
その流れの中での、昨日のNHkの公開録画。200人もの人
がひと目 見たい 聴きたいと押し寄せた。琵琶法師の盛装に
威儀を正し、声を張り上げ語る『那須の与一』。その音程は
高低2音を上下する単調なものだが、聴く者を 600年昔の
中世にいざなってくれる。「平家琵琶」は、現代の筑前琵琶、
薩摩琵琶とは全く異質のものだ。

なにより仏教的宗教観に裏打ちされている。今井氏の盲目の
世界の内面に引きずりこまれ、深い感銘を受けたのは私だけ
ではなかったろう。

演奏が終わって、今井氏と司会者のやりとりがあった。「この
『平曲』は盲人にしか伝えられない。12歳で入門して、口伝で
最初の段を習い覚えるのに3年かかった」という。今井氏でも
8曲しか伝承していない。これから視覚障害者で、盲僧琵琶を
習おうとする人が現われればいいが、「無理でしょう」との事。

目の見える人が「平曲」を、いと簡単に真似して語っても、
それは似て非なるものかもしれない。

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