現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

11/19 俳句の会

2008-11-20 23:28:28 | 虚無僧日記
「牡丹」という俳句の会の「25周年記念祝賀会」に
ゲスト出演。会場は駅前のニューグランドホテル。
祝いの曲として「鶴の巣篭もり」他、四季を彩る童謡
唱歌の類を数曲吹く。さらに「月の砂漠」「青葉の笛」
などリクエストにも応える。

「尺八って初めて聞いた」と、若いご婦人。
「94歳で亡くなった母の声が聞こえてきたようです」と
年配の男性が涙声で。
「名古屋駅で見かけた虚無僧は、あなたですか」とも。
駅前で虚無僧として吹いている時は、見向きもされない
方が、こうした場では、心を寄せて聞いてくださる。

さて、俳句の会だから、何か一句と求められて、初めて
の苦吟。

「牡丹香に 息吹き返す 薦(こも)の笛」

俳句の会の会誌「牡丹」が長らく休刊となっていたのを
復刊させた記念パーティでもあるという。忘れ去られつつ
ある薦(こも=虚無僧の異称)も「牡丹」の復刊パーティに
呼ばれて、尺八の音を聞いていただけた喜びを表した。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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11/16 松阪

2008-11-20 22:40:19 | 虚無僧日記
11/16 「泰旭流詩吟25周年記念大会」に尺八伴奏を頼まれ、
三重県松阪へ行く。松阪は虚無僧で周ってみたい町だった。
 
松阪は、蒲生氏郷の築いた城下町。氏郷は秀吉によって、
松阪から奥州会津100万石に移封させられた。近江日野の
一豪族から100万石の大大名になったのであるが、氏郷は
「たとえ小名であっても、都近くに居れば天下をとれた
ものを」と嘆いたという。会津若松の「若松」は、松阪
から草深い東北の地に移された氏郷が、新天地での再起を
願って付けた名だ。(それまでは黒川)

さて詩吟の伴奏は、半分くらいがCDでのカラオケ伴奏で、
尺八は出番が少ない。それでも8万円もギャラをいただいた。
ありがたい。これで当分しのげる。
時間があったので、駅前通りを虚無僧で流してみた。人通りが
ほとんどない。でもこういう商店街こそ、虚無僧には温かい。
二軒に一軒の割で100円、500円とくださる。
(名古屋より豊かなのか?)

小学3年生くらいの女の子が二人寄ってきた。
「何してるの?」「なんでそんなの被ってるの」「これなぁに」
矢継ぎ早に質問してくる。「お寺にも来る?私んちそこのお寺、
お父さん呼んでこよォ」と駆け出す。
(ギョギョ、お寺さんからお布施をいただくわけにはいかんが)
と迷う間もなく、すぐ側のお寺に引っ張っていかれた。
ご住職がでてこられ、子供に「虚無僧さんだよ」と言って、
ポケットから500円、100円玉を取り出して、ジャラジャラン。
純真無垢、くったくのない子供の心には大人もかなわんか。
名古屋や大都会では、「知らない人には声をかけるな」と教え
られているから、子供たちは、虚無僧に興味を持ってもあえて
無視する。“忘れられたニッポン”がここには息づいていた。

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一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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