現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

日中戦争従軍記

2008-11-21 21:54:18 | わが家のこと
中国四川大地震で知られるようになった「桂林、湘江」で
検索すると『湘桂作戦』が出てきた。日中戦争の記録が、
何件も載っている。その中の一つ「大村吾郎」という人の
戦記を読んだ。

私の父も S16年 から21年の引き上げまで 兵役につき、
『湘桂作戦』に加わっていた。父は 戦争のことを一切
語らなかったが、亡くなった後、遺品の中から
『日中戦争従軍記』というのがでてきた。定年退職後に
書いたものだ。「大村吾郎氏」の話の内容は、私の父と
良く似ている。「従軍慰安婦」についても扱っている。
文中に出てくる「慶応出の中尉」は私の父かもしれない
などと勝手な想像をする。

戦争の極限状態の中でも人間の尊厳を守り、略奪、強姦、
無益な殺戮を快しとしなかった兵もいたことを知る。
むしろそのような兵の方が多かった。いつの世も悪人は
居る。一部の悪行が全部と見られるのだ。

私の父は4年もの戦争の中で、直接には一人も殺して
いない。無事に帰国できたことも、自分が無益の殺生を
しなかったから“神仏の加護”と述懐している。
大村氏は、激戦の中、部下が撃たれ、「仇討ちだ!」と
相手を狙撃する。だがすぐ後悔し、玉が当たらなかった
ことを祈っている。それが真人間の心と信じたい。

父の『日中戦争従軍記』も、
別ブログでアップしています。興味ある方はぜひ見てください。


父の「日中戦争従軍記」

2008-11-21 21:51:18 | わが家のこと
父が書き残した『従軍記』を読むと、父は主計
(経理と食料衣料の調達係)少尉だったので、
比較的幸運だった。それでも、主計仲間でも
南方に送られて戦死したり、部下が眼前で
殺られたり、“運命の岐路”を体験している。
同期に、慶応の塾長小泉信三の息子で戦死した
「海軍主計中尉小泉信吉」がいる。無事生きて
帰れたことさえ奇跡なのだ。

父は4歳で父親に死に別れ、母親も16歳の時に
亡くしている。妻子ある部下を多く失い、独り者の
自分が帰国できたことの幸運を喜ぶこともできず、
戦争のことを沈黙してきたのであろう。

母の話では、結婚しても10年くらいは、時々夜中に
うなされて大声をあげるので、びっくりしたという。
「敵に囲まれた」とか、「独り戦場に取り残された」
という恐怖の夢を見るのだそうだ。 『従軍記』には、
直接手を下さずとも、見聞きした中国人への残虐行為や
従軍慰安婦のことが、当時としては何のためらいもなく、
平気のこととして書かれている。そして軍隊内の理不尽な
いじめ。連隊本部の上層部の乱れた生活ぶり、デザート
まで付く一流ホテル並の豪華な食事、酒はなんでもあり、
毎晩慰安婦を連れ込んで、酒びたりだったとかが書かれ
ている。

戦後、戦友会には出たがらなかった父だが、一度出向いて
「殺してやりたいほど憎い上官が来ていた」と不快な
気持ちで帰ってきたのを記憶している。楽しいばかりの
戦友会ではないようだ。それはあの「人間の条件」で、
梶が憎い上官を殺して便所の糞の中に沈めるシーンから
でも想像がつく。 何もかも理不尽な戦争。日本人の
残虐性に私は、目を覆いたくなる。いったい日本人は
ほんとうに「和」を愛する国民なのか。

中国の大地震への日本の対応で、反日感情もゆらぎつつ
あるが、自衛隊機の派遣問題で、あの忌まわしい記憶が
再燃した感もある。


日中戦争従軍記-牧原五郎』のブログも見てください。  

1週間のご無沙汰

2008-11-21 21:03:58 | 虚無僧日記
「1日が36時間、1週間が10日あったらな」と思うほど
超多忙な1週間だった。焦る心に水差すかのように、
パソコンは動かない。変換にものすごく時間がかかるのだ。
というわけで、何日かブログをお休みしていたら、桜さんから
「風邪でもひきましたか?」とのメール。ご心配おかけして
すみません。

朝起会に佐賀県武雄市から山口康雄さんとおっしゃる
陶芸家がみえた。11/15~18日まで、名古屋ドームで
開催される「全国やきものワールド」に出展されるため
1週間名古屋に滞在される。ということで、毎朝4時半
に駅前のホテルまでお迎えにあがることとなった。

毎晩、虚無僧から帰るのが 夜11時。12時過ぎに寝て、
3時半に起きる。やればできるものである。かえって1日
緊張と充実した時間が過ごせた。

送迎のお礼にと、山口氏から「虚無僧」の焼き物をいただいた。
天蓋をとると中から現われた顔にびっくり。自分にそっくり
なのだ。虚無僧の人形というのも珍しいが、まだ会ってもない
私にそっくりとは。めぐり会うべくして会う。縁の不思議。

11/16は、三重県松阪で詩吟の伴奏
11/19は、名古屋駅前のホテルで俳句の会にゲスト出演
     夜は「私は貝になりたい」の試写会
11/20は、名古屋三田会

そして12/7の短歌会館での独演会に向けて、案内作成と
送付でてんてこ舞いでした。一通り終えて一段落。

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人一人殺せば

2008-11-21 20:54:34 | 地球人類の問題
「私は貝になりたい」で、石坂浩二演ずる矢野中将が
処刑される前、最期の言葉として述べる。
「アメリカが、都市の爆撃で、無防備の一般人を無差別
大量殺戮したことも、国際法違反ではないか。その責任
者も罰せられるべきである」と。

チャップリンの「殺人狂時代」で、「人一人殺せば殺人と
なり、1万人殺せば英雄となる」という名セリフを思いだす。
戦争を引き起こした責任のA級戦犯として処刑された者は
わずか8名。それに対してBC級戦犯は1,000人も処刑さ
れたのである。そして広島に原爆を投下して10万人を殺
した責任は不問に付されている。

問題発言で更迭された田母神空幕将の論文を読んだが、
「アメリカは(沖縄を武力で制圧し)、日本を占領したが
これを侵略とは云わない。と同様、日本も国と国の合意に
基づいて朝鮮、台湾、満州を植民地にしたのであるから、
これは侵略ではない」というような内容だ。
なるほどである。一理ある。田母神氏を支持する声も少な
からずある。「私は貝になりたい」は一瞬、田母神氏の
発言を擁護する映画かと思った。戦争の理不尽さを思えば
やっぱり反戦映画か。
「上官の命令は天皇の命令」というシーンは、天皇の戦争
責任にまで発展しそうだ。とにかくこのような映画は、
思想が からみ論評が難しい。
体重を9kgも減量して役作りに務めた中居君の努力だけは
賞賛してあげたい。

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羞恥心 上地雄輔

2008-11-21 12:16:41 | プロとアマ
上地雄輔、羞恥心解散は「ない」(サンケイスポーツ) - goo ニュース

すっかり「おばかキャラ」で超人気となった上地雄輔くん。
インタビューで「怒涛のごとく押し寄せた人気」と表現。
おばかファンは「怒涛」の字幕も読めない。「イミわかんない」。

どうやら「上地雄輔は、本当は頭がいい。おバカを装ってる
のでは」との噂が立ち、実は“秀才”のしっぽを出したようだ。
「セレブと貧乏太郎」の演技も、そのまま地でこなす。

彼は「選ばれた“神の児”」だ、天才だと、人気はますます
急上昇。ブログ『神児遊助』もアクセス数世界1でギネス
ブック認定。アメブロ人気タレントランキング連続第1位獲得。
次々と活躍の場を広げるミラクル・ボーイ。

一方「未曾有や頻繁、踏襲」を読み間違えて、おばかキャラを
演出している麻生総理。こちらは「正真正銘のおばかでは?」
との噂がたって人気急落。イソップ物語のロバか。

私も“おばかキャラ”で売り出したいのだが、麻生総理の
二の舞になりそう。

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私は貝になりたい

2008-11-21 11:49:18 | 虚無僧日記
11/22封切られるというのに、一足お先に観てきた。
「私は貝になりたい」の試写会である。
開演前に司会の挨拶で、「昭和33年に、テレビドラマで
フランキー堺が演じて大変な話題となった作品である」
との説明があり、「それを観たことがある方」との質問に
勢いよく手を挙げたのは私一人だった。「歳がバレますね」
と司会のフォロー。

昭和33年といえば、私は10歳。早熟でませた子だった。
フランキー堺の家が、私の家の近くにあった。東横線
中目黒駅からよく見える丘の上に、当時ではまだ珍しい
スレート瓦の青緑の屋根がひときわ目立っていた。

それもあって、フランキー堺には親近感を感じていた。
収容所の中で、上官や仲間の髪を刈る場面や、13階段を
上るシーンも鮮明に覚えている。それからというもの、
階段を上る都度「イチ、ニィ、サン、シィ・・ジュウサン」と
数えるようになった。戦前に立てられた我家の階段は
13段だったのである。「縁起が悪い」とよく親に訴えた
ものである。「あなた方はどこの国の話をしているのですか」
そして判決の「デス、バイ、ハンギング」の声も覚えている。

そのくらい、フランキー堺の「私は貝になりたい」は、私に
とっては、トラウマのように強烈に記憶されているのである。

今回リメイクされた「私は貝になりたい」で、渋谷や池袋の
シーンが出てきた。空襲で破壊されたビルの残骸や、ヤミ市の
テントが立ち並ぶ光景も知っている私である。

巣鴨プリズンの跡地には西武の池袋プリンスホテルが建った。
池袋駅からプリンスホテルに向かう時はいつも、巣鴨プリズンの
事が頭から離れない。その道が、今回の映画でも仲間由紀恵が
子供の手をひいて歩くシーンとなって現われた。

プリンスホテルに泊った時、戦犯で処刑された人々の無念の
声が聞こえるようで、寝付けなかったのは私だけだろうか。

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私は貝になりたい 2

2008-11-21 11:48:53 | 虚無僧日記
試写会で、司会者が「中居君のファンの方は?」と
訪ねた時、数人しか手を挙げる人がいなかったのも
意外だった。名古屋人はシャイなのか。

さて、ストーリーを知っているだけに、泣けるかとタオル
まで用意していったのであるが、正直泣けなかった。
疑問点がいくつかある。

①主人公の清水豊松(中居正広)は片足を引きずっている。
障害者まで兵隊に狩り出すことはなかったと思うのだが?

②墜落で落下したアメリカ兵を殺害した罪というが、実際は
腕を刺しただけ、しかもそれ以前に捕虜は死んでいたという。
山の中の事件である。落下時に死亡していたことにすれば、
罪にはならなかったはず。いったい誰が密告したというのか。
無実の罪で死刑という設定が、まず腑に落ちない。

愛知県でも、落下傘で降下したパイロットを住民が惨殺したと
いう事件があった。その遺体を手厚く?埋葬したことで、後に
アメリカの遺族から感謝状を送られ、心痛んだという話もある。

③四国の高知である。妻の仲間由紀恵が雪の中を、助命
嘆願の署名集めに回るシーン。それなりに涙を誘うが、
高知ではあんなに積雪は無いと思うのだが。

④最後、減刑かとの喜びが一転しての死刑。なぜ唐突に、
しかも豊松だけが死刑???。説明がつかない。

仲間由紀恵の必死の努力が報われて、死刑から一転、減刑
というなら、サクセスストーリーで拍手だが、なにも報われず
に死刑では、一体なんだったの?である。

映画が終わって字幕スーパーが始まると、どんどん席を立って
帰る人々。泣いてる人はいない。後味の悪い映画だった。

中居ファンにとっても、あんなぶざまな最期は観たくないだろう。
中居君は、結局、捕虜を殺していなかった。妻の努力も実って、
無事家族のもとに帰れるというハッピーエンドで終わった方が、
後味スッキリしたのではないか。

せめて、死刑と決まったなら、開き直ってかっこよく死んでもら
いたかった、というのがファンの気持ではないか?。
帝国軍人として潔く従容として死についた石坂浩二や、先に
死刑となった草なぎ剛君の方が光ってみえた。

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「私は貝になりたい」の真実

2008-11-21 11:48:31 | 虚無僧日記
私の父も、中国戦線で戦い、武装解除となって上海に
集結し、やれやれ日本に帰れると喜んだのも束の間、
戦犯容疑で拘束された。主計中尉で部隊の食料調達の
任務にあたっていたから、部下が村々で行なった略奪や
残虐行為の責任をとらされたのだ。あわや死刑かと覚悟
したが、証拠不十分で釈放された。目撃証人がいなかった
からだ。
BC級戦犯で拘束された者は1万人、内、死刑となった
者は1,000人という。戦犯処理といえども、適正な裁判は
行なわれていたのだ。

橋本忍脚本の「私は貝になりたい」は、どうも腑に落ちない。
フィクションだからと済ます人も多いが、昨年8月、中村
獅子童主演で「『私は貝になりたい』の真実」というドラマが
あったそうな。
私は見なかったが、この時、「私は貝になりたい」には
「加藤哲太郎の『遺書』」がベースになっていることが
明らかにされた。
加藤哲太郎は、新潟の俘虜収容所で脱走を企てた捕虜を
殺した事件で戦犯に問われ、死刑判決となる。最終的には、
マッカーサーに助命嘆願申請して、異例の再審命令が下され、
減刑され、生還しているのである。

これなら納得である。やはり事実の方が辻褄があって、
私には面白い。中居君ファンにとっても、これなら満足だろう。
新潟なら雪も深い。仲間由紀恵の雪中シーンもリアリティが
ある。

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「私は貝になりたい」 3

2008-11-21 11:48:03 | プロとアマ
今日11/21 中日新聞に「私は貝になりたい」の全面広告。
CBCアナの若狭敬一氏のコメント。

「私は貝になりたい」は「真実を語りたくない、口を閉ざしたい」
という意味だと思ってました。私と同じだという方、今すぐ劇場へ

そう、そう思っていた人が多いようだ。脚本の橋本忍自身、前作
の時、黒澤明から「なんで“貝”なのか?」と批評され、「今回
脚本を手直しした」というようなことを語っていたので、期待したが、
変わっていなかった。

“貝”がテーマなら、冒頭の方で、愛する妻と浜辺で遊び、美しい
貝を拾うなり、海の底にもぐって貝をみつけるなり、貝をイメージ
するシーンが伏線として出てくるべきだった。それもなく、最後に
唐突に出てくるのは不自然。

モデルになったという加藤哲太郎の事実を探ると、これは新潟の
捕虜収容所でのこと。脱走した捕虜を殺した事件があった。所長の
加藤は自分が殺ったことにして、逃亡するのである。彼の書き残した
ものによって、部下は死刑を免れる。加藤は逃亡するが、全国指名
手配され、警察に逮捕される。そして死刑になるが、捕虜を殺した日、
実際は他へ出向いていて居なかったことなどが明らかになり、
マッカーサーの異例の再審命令で刑を軽減されるのである。

まさに、部下が殺ったという事実を固く口を閉ざして語らなかった
のだ。これなら「私は貝になりたい」の意味がわかる。事実を曲げる
と、いろいろほころびがでる。

ところで、「容疑者Xの献身」は、集客数345万人、興行収入43億
円に達し、まだまだ観客動員が伸びる勢いとのこと。
すべてが完璧だった。冒頭のホームレスのシーンも何もかもが、無駄
なく伏線として描かれていた。私も泣けた。映画が終わっても深い
感動が残った。福山もこまめに全国に舞台挨拶をして周り、観客の
心にはいっていったとか。

名古屋での舞台挨拶で、「私はジャイアンツファンだから、早く(東京に)
帰りたい」とのたまわった中居くんと、どちらが競り勝つか、見守りたい。

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