中国四川大地震で知られるようになった「桂林、湘江」で
検索すると『湘桂作戦』が出てきた。日中戦争の記録が、
何件も載っている。その中の一つ「大村吾郎」という人の
戦記を読んだ。
私の父も S16年 から21年の引き上げまで 兵役につき、
『湘桂作戦』に加わっていた。父は 戦争のことを一切
語らなかったが、亡くなった後、遺品の中から
『日中戦争従軍記』というのがでてきた。定年退職後に
書いたものだ。「大村吾郎氏」の話の内容は、私の父と
良く似ている。「従軍慰安婦」についても扱っている。
文中に出てくる「慶応出の中尉」は私の父かもしれない
などと勝手な想像をする。
戦争の極限状態の中でも人間の尊厳を守り、略奪、強姦、
無益な殺戮を快しとしなかった兵もいたことを知る。
むしろそのような兵の方が多かった。いつの世も悪人は
居る。一部の悪行が全部と見られるのだ。
私の父は4年もの戦争の中で、直接には一人も殺して
いない。無事に帰国できたことも、自分が無益の殺生を
しなかったから“神仏の加護”と述懐している。
大村氏は、激戦の中、部下が撃たれ、「仇討ちだ!」と
相手を狙撃する。だがすぐ後悔し、玉が当たらなかった
ことを祈っている。それが真人間の心と信じたい。
父の『日中戦争従軍記』も、
別ブログでアップしています。興味ある方はぜひ見てください。
検索すると『湘桂作戦』が出てきた。日中戦争の記録が、
何件も載っている。その中の一つ「大村吾郎」という人の
戦記を読んだ。
私の父も S16年 から21年の引き上げまで 兵役につき、
『湘桂作戦』に加わっていた。父は 戦争のことを一切
語らなかったが、亡くなった後、遺品の中から
『日中戦争従軍記』というのがでてきた。定年退職後に
書いたものだ。「大村吾郎氏」の話の内容は、私の父と
良く似ている。「従軍慰安婦」についても扱っている。
文中に出てくる「慶応出の中尉」は私の父かもしれない
などと勝手な想像をする。
戦争の極限状態の中でも人間の尊厳を守り、略奪、強姦、
無益な殺戮を快しとしなかった兵もいたことを知る。
むしろそのような兵の方が多かった。いつの世も悪人は
居る。一部の悪行が全部と見られるのだ。
私の父は4年もの戦争の中で、直接には一人も殺して
いない。無事に帰国できたことも、自分が無益の殺生を
しなかったから“神仏の加護”と述懐している。
大村氏は、激戦の中、部下が撃たれ、「仇討ちだ!」と
相手を狙撃する。だがすぐ後悔し、玉が当たらなかった
ことを祈っている。それが真人間の心と信じたい。
父の『日中戦争従軍記』も、
別ブログでアップしています。興味ある方はぜひ見てください。