平成11年11月9日
梶田昌艶先生の妹君、淳子先生が亡くなられた。
享年78歳。名古屋では著名な琴の三姉妹の末娘。
若い時に交通事故に遭われ、足が少々不自由に。
そして結婚もせず、姉の梶田昌艶に影の如く付き
添って生きてきた人生だった。昭和20年代から、
梶田昌艶先生が作曲された曲の演奏には、必ず
名パートナーとして共演。平成11年に出した私の
CD『梶田昌艶の世界』で「水上に寄せて」の
十七絃を弾かれたのが、最後の演奏となった。
その時、すでに体調を崩し、演奏も危ぶまれたが、
しょっぱなの十七絃のボンという一撃は、他の
箏奏者では出せない音だった。全曲暗譜である。
あの音を出せる人は、もういないのかと思うと
惜しまれる。
11/10 通夜
11/11 葬儀、告別式
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
梶田昌艶先生の妹君、淳子先生が亡くなられた。
享年78歳。名古屋では著名な琴の三姉妹の末娘。
若い時に交通事故に遭われ、足が少々不自由に。
そして結婚もせず、姉の梶田昌艶に影の如く付き
添って生きてきた人生だった。昭和20年代から、
梶田昌艶先生が作曲された曲の演奏には、必ず
名パートナーとして共演。平成11年に出した私の
CD『梶田昌艶の世界』で「水上に寄せて」の
十七絃を弾かれたのが、最後の演奏となった。
その時、すでに体調を崩し、演奏も危ぶまれたが、
しょっぱなの十七絃のボンという一撃は、他の
箏奏者では出せない音だった。全曲暗譜である。
あの音を出せる人は、もういないのかと思うと
惜しまれる。
11/10 通夜
11/11 葬儀、告別式
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