現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

龍馬伝

2010-01-03 21:33:33 | 虚無僧日記
今、四国が熱い。『坂の上の雲』に続いて『龍馬伝』が始まった。
オープニングは、明治になっての岩崎弥太郎が「あいつは一番
嫌いな奴じゃった!」と咆えるシーンから回想となる。
なるほど、こうきたか。

坂本龍馬は、生前より死後に有名になった人物であり、龍馬を
最初に世に出したのは、明治16年(1883年)高知の『土陽新聞』に
「汗血千里の駒」を載せた坂崎紫瀾とか。その記者が岩崎弥太郎に
龍馬について取材するのが、オープニングとなった。

『龍馬伝』第1回は「上士と下士」。武士でも家禄の高い上士と
一段低い下士の理不尽な差別と対立。ドラマでは、龍馬がまだ
若い時の事件として、これを契機に志を立てるという設定。
視聴者には解りやすい。

史実では、坂本龍馬が江戸留学から帰国した後、25歳の時の事件だ。
山田広衛が郷士中平忠次郎と肩がぶつかったことから諍いとなり、
忠次郎を切り捨てた。忠次郎に同行していたしていた宇賀喜久馬が
忠次郎の兄・池田寅之進に知らせ、2人で急ぎ現場へ駆けつけ、山田
広衛と同行の益永繁斎の二人を殺害した。翌日上士と郷士の対立が
激化し、坂本龍馬が郷士側のリーダーとして仲裁に当たるが成らず、
上士を殺害した宇賀喜久馬と池田寅之進が自ら責を負って切腹した。

これは土佐藩が取潰しになりかねない大騒動だった。これを機に
下級士族の武内瑞山をリーダーとする「土佐勤皇党」が結成され、
翌年龍馬は藩を脱藩する。これ以後、時代は急展開し、わずか
5年後には、龍馬は何者かによって暗殺されるのだ。

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龍馬暗殺の首謀者

2010-01-03 21:33:33 | 虚無僧日記
ところで、NHK『龍馬伝』では、坂本龍馬の暗殺を
どう描くのだろうか。龍馬を暗殺したのは、当時は
「新撰組」とされ、近藤勇は坂本龍馬暗殺の下手人
として捕らえられ処刑されたのだ。

後に、明治になって、旧幕臣で「見廻組」の隊員だった
今井信郎が、龍馬暗殺を公表したため、今では「見廻組」
が龍馬を襲ったこととなっている。だが、慶応3年(1867)、
10月、徳川慶喜は大政奉還をして将軍職も辞職しており、
徳川方としては龍馬を暗殺する理由がなかった。

むしろ、坂本龍馬は、「徳川慶喜を議長とする公武合体の
議会政治」を考えていたのだから、徳川家存続を希望する
側にとっては大切な人物だったのだ。

あの時点で「龍馬が邪魔」と考えていた人物。それは
西郷隆盛である。西郷隆盛は、「徳川家の取り潰し」という
荒療治をしなければ、明治維新の大業は成らないと考えて
いた。だから徳川家の存続を認める龍馬は邪魔だったし、
龍馬暗殺を新撰組のせいにすれば、反徳川の機運がイッキに
高まると企んだのだ。龍馬は倒幕のスケープゴート(生贄)と
なった。

明治になって、西郷隆盛が坂本龍馬について、「天下に
有志あり、余多く之と交わる。然れども度量の大、龍馬に
如くもの、未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測る
べからず」と最大の賛辞を送っている。

それだけに、逆に、西郷こそが、陰で糸をひいた真犯人では
ないかと疑われるのである。もっとも歴史家は否定的で、
小説家の推理である。


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