今、四国が熱い。『坂の上の雲』に続いて『龍馬伝』が始まった。
オープニングは、明治になっての岩崎弥太郎が「あいつは一番
嫌いな奴じゃった!」と咆えるシーンから回想となる。
なるほど、こうきたか。
坂本龍馬は、生前より死後に有名になった人物であり、龍馬を
最初に世に出したのは、明治16年(1883年)高知の『土陽新聞』に
「汗血千里の駒」を載せた坂崎紫瀾とか。その記者が岩崎弥太郎に
龍馬について取材するのが、オープニングとなった。
『龍馬伝』第1回は「上士と下士」。武士でも家禄の高い上士と
一段低い下士の理不尽な差別と対立。ドラマでは、龍馬がまだ
若い時の事件として、これを契機に志を立てるという設定。
視聴者には解りやすい。
史実では、坂本龍馬が江戸留学から帰国した後、25歳の時の事件だ。
山田広衛が郷士中平忠次郎と肩がぶつかったことから諍いとなり、
忠次郎を切り捨てた。忠次郎に同行していたしていた宇賀喜久馬が
忠次郎の兄・池田寅之進に知らせ、2人で急ぎ現場へ駆けつけ、山田
広衛と同行の益永繁斎の二人を殺害した。翌日上士と郷士の対立が
激化し、坂本龍馬が郷士側のリーダーとして仲裁に当たるが成らず、
上士を殺害した宇賀喜久馬と池田寅之進が自ら責を負って切腹した。
これは土佐藩が取潰しになりかねない大騒動だった。これを機に
下級士族の武内瑞山をリーダーとする「土佐勤皇党」が結成され、
翌年龍馬は藩を脱藩する。これ以後、時代は急展開し、わずか
5年後には、龍馬は何者かによって暗殺されるのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

オープニングは、明治になっての岩崎弥太郎が「あいつは一番
嫌いな奴じゃった!」と咆えるシーンから回想となる。
なるほど、こうきたか。
坂本龍馬は、生前より死後に有名になった人物であり、龍馬を
最初に世に出したのは、明治16年(1883年)高知の『土陽新聞』に
「汗血千里の駒」を載せた坂崎紫瀾とか。その記者が岩崎弥太郎に
龍馬について取材するのが、オープニングとなった。
『龍馬伝』第1回は「上士と下士」。武士でも家禄の高い上士と
一段低い下士の理不尽な差別と対立。ドラマでは、龍馬がまだ
若い時の事件として、これを契機に志を立てるという設定。
視聴者には解りやすい。
史実では、坂本龍馬が江戸留学から帰国した後、25歳の時の事件だ。
山田広衛が郷士中平忠次郎と肩がぶつかったことから諍いとなり、
忠次郎を切り捨てた。忠次郎に同行していたしていた宇賀喜久馬が
忠次郎の兄・池田寅之進に知らせ、2人で急ぎ現場へ駆けつけ、山田
広衛と同行の益永繁斎の二人を殺害した。翌日上士と郷士の対立が
激化し、坂本龍馬が郷士側のリーダーとして仲裁に当たるが成らず、
上士を殺害した宇賀喜久馬と池田寅之進が自ら責を負って切腹した。
これは土佐藩が取潰しになりかねない大騒動だった。これを機に
下級士族の武内瑞山をリーダーとする「土佐勤皇党」が結成され、
翌年龍馬は藩を脱藩する。これ以後、時代は急展開し、わずか
5年後には、龍馬は何者かによって暗殺されるのだ。
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