現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

仕事はじめ

2010-01-09 19:50:46 | 虚無僧日記
もう毎日が本番。朝3時起きして「今日は何だっけ?」と
カレンダーを見る。そして、演奏する曲の楽譜を探す。
見つからないと、手書きで書く。探しているより書いた
方が早い。

1月8日は、中区の「平和福祉会」で鏡開き。鈴花の箏と
恭花の三絃、私の尺八で「松尽くし」。尺八の譜面など
無いから、箏の楽譜に、自分で尺八の手をつける。

さて本番。恭花は梶田先生から借りてきた三絃の糸巻が
調子悪い。すぐゆるんでしまって、全く演奏ならず。

尺八家は他人の尺八を借りて吹くなどということは絶対
ない。三絃は、持ち運ぶのが大変だからと、借りてきた
のが間違いだった。

これも経験。本番で失敗して強くなる。しかし、
老人ホームが 素人の練習の場になっては 申し訳ない。


その後は、梶田先生宅で『茶音頭』の練習。最初の出
だけでも何十回も、息が合うまで繰り返す。そして
わずかのズレも見逃さない。一音一音、音と“間(ま)”を
確認し、楽譜を書き直す。尺八の楽譜は本当にいい加減だ。
このまま吹いてよく合わせられるなと感心する。三絃や箏の
フレーズに合わない所が何箇所もあるのだ。

たとえば、尺八の楽譜では「レ-ロ---」と続けるように
なっていても、「そこは歌が始まるのでレ-ロ-で切り、
あらためてロ-と吹きなおす」とか、二人で呼吸を合わせ
られるよう、細かくチェックをした。

ようやくこれで尺八の譜面が完成。1月20日のNHK録音
に向けて、100回吹きスタート。


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稽古はじめ

2010-01-09 19:50:46 | 虚無僧日記
1月9日(土) 長縄、加藤両氏がみえる。
11日の、中川生涯学習センター主催の「新春尺八
コンサート」のための練習。

これはおさらい会ではない。市から出演料をいた
だいての、コンサートである。お二人にはその自覚を
持ってもらい、朝10時から2時半まで4時間、みっちり
稽古。出だしの音から厳しく指導した。曲によって
それぞれ異なる。思いっきり強く出すのもあれば、
消え入るようなピアニッシモの場合もある。

童謡ひとつ、尺八家は歌うように吹けない。音の
強弱が歌に合っていないのだ。そんなことも徹底
直した。本番が楽しみ。


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盗難事件

2010-01-09 19:01:58 | 虚無僧日記
尺八教室として借りている「邦楽ラウンジ」に泥棒が
はいって、受講料など現金2万円が盗まれた。

疑われているのは、先月、私に面会を求めてきた○○氏。
「邦楽ラウンジ」には、私のいない時、他の三味線や二胡
などの時間に、度々訪ねてきていたという。そうして
教室内を物色していたようだ。

その時居合わせた「邦楽ラウンジ」のオーナーに、私の
名を出して信用させ、部屋の鍵の開け方を聞き出し、
深夜に無断で はいりこんだようだ。

住所不定だから、深夜、寝ぐらにしていたのだろう。
ケータイ番号と姓名は判っている。電話をかけて呼び
出してもいいのだが、夜中に侵入して 盗んだという
証拠が無いから、警察も逮捕できないという。

とんでもないやっちゃ。私の名前が使われたので
困ったことになった。鍵を取り替えるなど、他の講師にも
迷惑をかけることになってしまった。

元××生命に勤務。××生命が倒産して失職、妻に
死なれ、今は住所不定。古道具屋で買った延べ竹の
尺八を吹いて、あちこち出入りしているらしい。
尺八は自己流のでたらめ。

それでも金を与える人がいるらしい。私と同類だが、
似て非なるもの。“情け無い=ああ無情”だ。

「レ・ミゼラブル(あぁ無情)」を思いだす。情けをかけて
食事を与え、泊めてあげた男に銀の燭台を盗まれた
司祭が、その男ジャン・パルジャンをかばって、「その
燭台はあげたものだ」と警察に言う。


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国府宮での舞楽演奏

2010-01-09 19:01:58 | 虚無僧日記
1月4日から7日までの「国府宮(こうのみや)」神社での
楽箏演奏は、鈴花が無事勤めあげた。4日間で 2,000人
以上の方に、演奏を聞いていただいたことになる。

神殿での舞楽は、演奏会とは全然違う。参列者は、雅楽の
神々しいばかりの音声に酔い、巫女の舞に見とれる。
神が降臨したかの不思議な世界に、魂を奪われたかの
境地になる。

4日目で気づいた。神殿での舞楽は、参列者へのサービス
ではなく、神様へ捧げるものなのだ。「神を喜ばせ、神の
霊力を引き出すものなのだ」と。

音楽は元々、神へ捧げるものとして誕生したのだ。我々の
演奏もその原点を忘れてはならないと。

翌日から毎日が本番。私の尺八の音も明らかに変わって
きた。自分でも神の霊力を感じる。


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