1月20日の大寒から、毎朝、真如苑の寒修行に通っている。
真如苑の開祖が寒修行を始められた昭和 10年1月の気温は、
東京でも-8℃だったそうな。厚く張った氷を割って、その氷水で
百度百杯の水垢離を行う。或いは凍りついた滝に打たれるという
厳しい行だった。
信徒はそこまでしなくとも良いとの御心で、暖房のはいった
会場に集まって、読経し、話を聞くだけの寒修行となった。
それでも、読経の経頭や司会、プルーフ、道案内のご奉仕、
すべて自分たちで交代で行っていたので、すごい緊張だった。
それが昨年から、名古屋の町のど真ん中、栄のビルの中で、
本部から衛星で送られてくる映像を見るだけとなった。
それも朝6時半からである。一人でも多くの方が参加できる
ようにとの御心だ。
以前は、朝3時起きして水垢離をとってから、4時に家を
出たものだが、今は水をかぶる勇気もわかない。4時から
6時朝起き会に参加して、それから真如苑に向かっても、
十分間に合うのだ。
こんなに道をつけていただいて、楽に参加できることにも
ただただ有り難いと感謝、感謝。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
![日記@BlogRanking](http://img.diary-ranking.com/banner03s.gif)
真如苑の開祖が寒修行を始められた昭和 10年1月の気温は、
東京でも-8℃だったそうな。厚く張った氷を割って、その氷水で
百度百杯の水垢離を行う。或いは凍りついた滝に打たれるという
厳しい行だった。
信徒はそこまでしなくとも良いとの御心で、暖房のはいった
会場に集まって、読経し、話を聞くだけの寒修行となった。
それでも、読経の経頭や司会、プルーフ、道案内のご奉仕、
すべて自分たちで交代で行っていたので、すごい緊張だった。
それが昨年から、名古屋の町のど真ん中、栄のビルの中で、
本部から衛星で送られてくる映像を見るだけとなった。
それも朝6時半からである。一人でも多くの方が参加できる
ようにとの御心だ。
以前は、朝3時起きして水垢離をとってから、4時に家を
出たものだが、今は水をかぶる勇気もわかない。4時から
6時朝起き会に参加して、それから真如苑に向かっても、
十分間に合うのだ。
こんなに道をつけていただいて、楽に参加できることにも
ただただ有り難いと感謝、感謝。
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