このところ、箏のコンサートを何件か見に行った。
“名古屋は芸処”だからか、いずれも満席の盛況。
出演者観客ともに若い人も多い。意外だった。
大道具小道具に花などを並べたてた豪華な舞台。
着せ替え人形のようにとっかえひっかえの派手な
衣装。邦楽以外のゲストとのコラボ。司会者の饒舌。
なにか演奏以外のことで“チカラ”が入っている。
ただそれが、「お客を楽しませるため」と思って
やっているのだろうが、それは主催者の勝手な思い
であって、主催者だけが楽しんでいて、観客そっち
のけの過剰サービスと思うのは私だけだろうか。
「邦楽はつまらないと思われたくない」という負い目
なのだろうか。
「ムダ、ムラ、ムりの“ダラリ”の帯をとろう」という
キャッチコピーがあった。能も茶道も居合いも、一切
無駄が無い。それが日本文化だと私は思っている。
余計なもの無駄なものをそぎ落として、純粋に音楽
芸術で観客と真剣勝負をするのが筋だと思う。
10/11 能楽堂での「一路会公演」では、マイク無し、
司会無し、解説無し、照明も変化無し。つまり、
能のスタイルを真似たシンプルさで“邦楽”の世界を
見(魅)せたいと思っている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
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“名古屋は芸処”だからか、いずれも満席の盛況。
出演者観客ともに若い人も多い。意外だった。
大道具小道具に花などを並べたてた豪華な舞台。
着せ替え人形のようにとっかえひっかえの派手な
衣装。邦楽以外のゲストとのコラボ。司会者の饒舌。
なにか演奏以外のことで“チカラ”が入っている。
ただそれが、「お客を楽しませるため」と思って
やっているのだろうが、それは主催者の勝手な思い
であって、主催者だけが楽しんでいて、観客そっち
のけの過剰サービスと思うのは私だけだろうか。
「邦楽はつまらないと思われたくない」という負い目
なのだろうか。
「ムダ、ムラ、ムりの“ダラリ”の帯をとろう」という
キャッチコピーがあった。能も茶道も居合いも、一切
無駄が無い。それが日本文化だと私は思っている。
余計なもの無駄なものをそぎ落として、純粋に音楽
芸術で観客と真剣勝負をするのが筋だと思う。
10/11 能楽堂での「一路会公演」では、マイク無し、
司会無し、解説無し、照明も変化無し。つまり、
能のスタイルを真似たシンプルさで“邦楽”の世界を
見(魅)せたいと思っている。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
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