現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

敦煌・莫高窟

2010-04-15 22:00:21 | 虚無僧日記
敦煌の莫高窟の掘削は、366年から始まったという。日本ではまだ
卑弥呼の時代だ。文字もない。だが、釈迦の入滅からすでに800年
も経っている。そして敦煌は、隋、唐代に栄え、北宋時代にさびれ、
11世紀西夏によって征服されたという。日本では平安時代の末。

それから900年経った1900年、敦煌の莫高窟の崩れ落ちた壁の
中から大量の経典・写本・文献が発見された。その数3万~4万。
どうしてこれだけの文献が壁の中に封じ込まれていたのか。

井上靖の『敦煌』では、11世紀に西夏に攻められた際、略奪
されることを恐れて隠したことになっており、私もずっとそう
信じていた。

しかし研究が進むにつれ、価値の無い文献まで多量に埋められて
いたことが判り、廃棄されたものという説が有力だという。
なんじゃらほい。

五代十国時代から北宋時代に印刷技術が発展進し、刊行本が普及
すると、原本は不要なものとして捨てられたのだという。
ま、しかし、そのお蔭で、原初の仏典が残された。大半は漢語だが、
チベット語・サンスクリット語・コータン語・クチャ語・ソグド語・
西夏語・ウイグル語・モンゴル語などがあり、内容もゾロアスター教・
マニ教・景教(ネストリウス派)などの経典もあるという。

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経典って何?

2010-04-15 21:51:18 | 虚無僧って?
釈迦は一字も書き残さなかった。経典は釈迦の入滅後数百年の後に、
インド、チベット、中国で作られたものだ。4万巻もの経典がすべて
釈迦の言葉なのか、釈迦の教えを正しく伝えているかは多いに
疑わしい。

浄土三部経の『観無量寿経』などは、インドやチベット語の原典が
見当たらず、いつの時代に作られたものか不明という。禅宗なども
達磨が言い出したもので、あれは仏教ではないとも。
また、釈迦は「地獄も極楽も前世も知らない」と言っているのに、
浄土教の各宗では「西方極楽浄土への往生」を説く。これこそ釈迦の
意思に反する。

葬式なども、釈迦は「無用」だと言っているのだ。それを宗派が
それぞれ独自のしきたりを定めて行っている。その費用は、諸外国
に比べて一桁以上も高い。まさに法外な値段だ。

日本の坊さんは『五戒文』つまり「殺生、盗み、嘘、酒、色」の禁
をすべて破って平然としている。その仏教界の現状には、さぞや
お釈迦様も嘆いておられよう。

寺を持たず、拝する像も経典も言葉も無い虚無僧的な生き方こそ、
もっとも釈迦の意に叶うものではないか。

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