現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

I さんの葬儀 つづき

2010-04-23 21:15:20 | 虚無僧日記
交通事故に突然逝ってしまったからだろうか。
遺族の方も“突然の死”が、まだ受け入れられ
ないでいるからだろうか。悲しみの涙もない
葬儀だった。

病気で入院の果てに亡くなる人は、それなりの
覚悟と準備ができているからまだいい。
I さんのように、ある日突然、日常の中から
消えてしまっては、この世に心残りもあるだ
ろう。

自転車で横断歩道を渡ろうとして、左折してくる
トラックに跳ねられ、頭を打っての即死だった。
どこへ行こうとしていたのか。誰かと待ち合わせ
していたのではないのか。やりかけの仕事はなか
ったのか。この世に未練を残して亡くなったこと
だろう。

そんな霊魂が漂っているのを感じたのは私だけ
だろうか。葬儀を司る者は、本来は亡くなった人の
霊魂と残された者との間をとりもつ能力に長けた
人だったのではなかろうか。

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I さんの葬式

2010-04-23 20:27:09 | 虚無僧日記
4/23 一昨日交通事故死された I さんの葬式に行ってきた。
私の家のすぐ近くの○○会館。
“独居老人”とのことだったが、親族の方が約20名。
近所の方、カラオケ仲間の方が20名、朝起会の会員が
10名ほどで、総勢50名が参列。

祭壇もなかなか立派。2人のお坊さんが経をあげ、途中から
焼香が始まって・・・、それで終わり。滞りなく終わったの
だが、なんか空しい。セレモニーだからこれで良いのか?
坊さんの読経にも、会館の係りの人の対応も、あまりにも
型通りで、心が感じられないのだ。

伯母の葬儀の時は、川崎の津田山斎場での家族葬だったが、
ほんとに温かく心のこもった葬儀だった。この違いは何なん
だろう。

東京では、もう7割が坊さんを呼ばないという。檀家寺を
もたない人には、葬儀場が契約している坊さんが呼ばれて
くるが、本物の寺の住職ではなく、サラリーマンのアルバイト
だとも聞く。読経も下手で、ありがた味もわかない。

既存の仏教寺院は、ますます生活基盤を脅かされている。
葬式仏教から離脱して、真に一般大衆を救う心にはいらな
ければ、仏教は消滅する。

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