現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八第二世代は今

2010-04-26 16:26:57 | 筝尺八演奏家
昭和39年は、「尺八三本会」そして「日本音楽集団」が
結成され、現代邦楽ブームが開花した年だった。

この時期に華々しくデビューした若手尺八家を「第一世代
の尺八家」と言わせてもらえれば、我々S42~47年当時
学生だった我々団塊の世代が「第二世代」だ。

第二世代は、当時、学生運動が激しさを増す中、邦楽界でも
革命を起こそうと、「家元制度粉砕」などと気勢を上げ、
現代音楽に飛びついたものだった。

第一世代が長年、邦楽界の第一線で活躍されたので、第二
世代は、なかなか第一線に出れないでいるうちに還暦を
過ぎてしまった。

今第一世代の息子の代が台頭してきている。彼等が第三世代。
また一味違う尺八の世界が広がりつつある。


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横山勝也氏の思い出

2010-04-26 15:44:25 | 虚無僧日記
横山勝也氏が亡くなくなられた。75歳だった。
と云うことは、私より13歳も年上だったのか。
私とあまり変わらない年代だと思っていた。

というのは、私が初めて横山氏を知ったのは
もう50年以上も前、昭和30年代の半ばだった。
テレビのまだモノクロの番組で、どこかの日本
家屋の中で琴と尺八の演奏シーンが流れた。
見ると尺八は、まだ前髪をたらした坊ちゃん顔の
青年だった。そしてその音色のきれいさに、目を
見張ったのを今でも鮮明に記憶している。

昭和39年、NHK・FM『現代邦楽』で、堀井小二朗、
山川直春合作の『竹の韻』が放送された。指揮は
杵屋正邦。尺八は、堀井小二朗の他は、横山勝也、
青木静夫(現鈴慕)、宮田耕八朗、村岡実といった、
当時新進気鋭の若手尺八家だった。この曲の中で
横山氏は海童道の奏法を披露し、周囲を驚かせた。

この『竹の韻』が、正に現代邦楽の幕開けだった。
そしてその年、横山、青木、山本三氏で「尺八3本会」
が結成された。

「他流派の者と合奏したら破門」と云われていた
時代に、流派を超えて結成されたことは衝撃的だった。

その第一回演奏会で、初演されたのが、杵屋正邦氏の
『風動』。以来、毎回、ムラ息、風息、重音、ダブル
・トリプルタンギング、3オクターブ上の旋律など、
従来の尺八の常識を破るテクニックが次々と披露され、
興奮と感動の時代だった。

また、この年「日本音楽集団」も結成され、横山氏
も当初メンバーだったが、7孔の宮田耕八朗氏とは
相容れず、やがて退会された。

横山氏は「NHK邦楽技能者育成会」6期(S35年)で、
筝の池上実氏と同期だったこともあって、池上実氏
率いる「土曜会合奏団」に出演されたこともあった。
私もその一員だった。池上実氏の息子が、今活躍して
いる池上真吾君。当時まだ赤ん坊だった。

その時のことを覚えておられたのか、10年も過ぎた
昭和50年頃、国立劇場の楽屋の廊下ですれ違った時、
気さくに声をかけていただいた。あれは、今でも
忘れられない感動であった。


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モスクワでも横山師の追悼

2010-04-26 14:56:43 | 虚無僧日記
モスクワのサーシャからメールがはいった。
「横山勝也師が亡くなられたと知って、尺八仲間で
『山谷』を吹いています」と。

横山勝也師の訃報は、中日新聞では夕刊の訃報欄に
載っただけだったが、モスクワにも即日伝わっていたのだ。
「国際尺八研修館」の H.P.を見て知ったのだろうか。
H.P.には、「通夜と告別式で直門生により『山谷』と
『手向』の献奏がされる」とあった。

武満徹が亡くなった時も、日本の新聞各紙では「訃報欄」に
掲載されただけだったが、英米仏の各紙は一面トップの
扱いだった。日本は音楽、芸術が一面に載ることはない。

新聞よりインターネットの方が、必要な情報が必要な人に
早く伝わるということか。あらためて、横山勝也師は
「世界の横山」だったのだ。