現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

立川談志の「芝浜」

2010-04-16 22:10:24 | 虚無僧日記
今引退か再起かで話題の立川談志の『芝浜』がYou-Tubeに
アップされていた。

長い。50分もある。談志はどうも好きになれない。声が汚い。
しゃべりに品がない。言葉が粗野でドモリが激しい(これはわざと
の演技なのだろうが)。冗長で無駄なしゃべりが多い。間(ま)が悪い。
辛抱して50分聞いた。全然笑えず、ラストでも泣けなかった。

ついでに「水島総の直言極言『立川談志の醜態』」というのも
あったので見てみた。
話の内容は「伝統と破壊」。「『芝浜』を例に、立川談志は古典
落語にいろいろ試行錯誤を試みているが、ことごとく失敗に
終わっている」と手厳しい。私も同意見だ。

だが、これに対して、投稿コメントの大半が、立川談志を擁護し
水島氏を攻撃している。「立川談志は古典落語が廃れていくのを
止めるために、いろいろ工夫努力してきたのだ」と。
これは意外だった。

私も、尺八の「古典本曲」はそのままでは廃れるばかりなので、
現代人にウケルようにアレンジしている。それは談志とは逆で、
時間の短縮だ。繰り返しの無駄を省き、メロデイラインをより
クリヤーに、そして緩急と音の強弱の差を大きくしている。

「古典を現代風に変えていくべき」という談志の姿勢に異論は
無いが、リアリズムには賛成しかねる。古典は無駄を省き、芸術
として昇華してこそ、次代に残せるというのが私の考えだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします


変化する古典尺八

2010-04-16 09:21:47 | 虚無僧って?
釈迦の入滅後数百年間、釈迦の教えは口承によって広まった。
口伝えであるから、伝える人の解釈もはいり、伝播とともに
どんどん枝別れして様々な宗派、教団ができた。

これって、虚無僧尺八も全く同じではないか。中国の普化を
開祖と仰ぎながら、普化の「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」
の偈以外、教義は何もない。みなそれぞれに勝手に解釈し、
虚無僧が生まれた。そして、虚無僧が吹く尺八の曲も口伝
だから、その人の技量、解釈でどんどん変わってきた。
同名異曲だけでなく、曲は似ているのだが、曲名が勝手に
変えられていたりする。

現代、虚無僧尺八愛好家によって好んで吹かれている曲は
50年から100年くらい前のものでしかない。それもどんどん
曲の趣きが変わってきている。

私が尺八を始めた50年前は、琴古流の「鹿の遠音」や都山流
の本曲に憧れて尺八を始めた人が多かった。最近では「鹿の
遠音」もあまり聞かなくなった。

40年ほど前から、海童道が現れて、尺八家を驚かせた。
それまでの古典尺八とは全く違った斬新な前衛音楽だが、
「古典本曲」として、尺八家以外に広く知れ渡った。

その海山道曲を受け継いだ横山勝也は、劇場音楽に高め、
見せる聞かせる尺八本曲にした。それから30年、最近漸く
譜面も広まり、横山師の『手向』が、あちこちで吹かれる
ようになった。

戦前、日比谷の野外ステージで多くの聴衆を集めたという
神如道師の尺八も、我々尺八愛好家にはすばらしい価値ある
ものだが、今はもう一般人をひきつける力は失いつつある。

ものすべてに賞味期限がある。古典本曲といえども、寿命は
せいぜい100年なのだ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします