7/25 岐阜に行ったついでに柳ケ瀬に寄ってみた。
結構広い。名古屋の盛り場「錦3(きんさん)」よりも
はるかに広く、店の数も多い。だが寂れている。
半数近くの店がシャッターを閉めていた。ホスト
クラブの看板だけが、やたら目につく。
「雨の降る夜は 心もぬれる
まして一人じゃ なお淋し
憎い仕打ちと うらんでみても
戻っちゃこない あの人は
ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている 」
昭和41年、空前のヒット曲となった美川憲一の
『柳ヶ瀬ブルース』。私はまだ 高校生だったが、
この歌にしびれ、「柳ケ瀬」ってどんな所だろう
と、東京から東海道線の夜行(普通)に乗って、
岐阜まで行った。
盛り場をうろつくのは怖く、通りの入り口から
覗いただけだった。なんか薄暗い、場末の盛り場
だったと記憶している。
それが、バブルの頃には、数百の店舗が軒を連ね、
大変な賑わいとなったようだ。名古屋からも遊びに
来たという。なぜ名古屋をしのぐほどの一大歓楽街
となり得たのか。「柳ケ瀬ブルース」の歌の力か。
それが、今では閑古鳥が鳴き、つわもの共が夢の跡。
美川憲一は柳ケ瀬の名誉理事長だそうだ。美川が
奇跡のカムバックをしたように、起死回生がなるか。
ところで「オネエキャラ・セレブキャラ」で再ブレイク
した憲一。「もっと端っこ歩きなさいよ」「おだまり」が
流行語となった。私は「一休語り」で「この橋(端)渡る
べからず、真ん中を歩め」と言っているが、自分の人生は
片寄った端っこばかり歩んできたか。さびれた柳ケ瀬も
哀愁を感じてまたいい。
結構広い。名古屋の盛り場「錦3(きんさん)」よりも
はるかに広く、店の数も多い。だが寂れている。
半数近くの店がシャッターを閉めていた。ホスト
クラブの看板だけが、やたら目につく。
「雨の降る夜は 心もぬれる
まして一人じゃ なお淋し
憎い仕打ちと うらんでみても
戻っちゃこない あの人は
ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている 」
昭和41年、空前のヒット曲となった美川憲一の
『柳ヶ瀬ブルース』。私はまだ 高校生だったが、
この歌にしびれ、「柳ケ瀬」ってどんな所だろう
と、東京から東海道線の夜行(普通)に乗って、
岐阜まで行った。
盛り場をうろつくのは怖く、通りの入り口から
覗いただけだった。なんか薄暗い、場末の盛り場
だったと記憶している。
それが、バブルの頃には、数百の店舗が軒を連ね、
大変な賑わいとなったようだ。名古屋からも遊びに
来たという。なぜ名古屋をしのぐほどの一大歓楽街
となり得たのか。「柳ケ瀬ブルース」の歌の力か。
それが、今では閑古鳥が鳴き、つわもの共が夢の跡。
美川憲一は柳ケ瀬の名誉理事長だそうだ。美川が
奇跡のカムバックをしたように、起死回生がなるか。
ところで「オネエキャラ・セレブキャラ」で再ブレイク
した憲一。「もっと端っこ歩きなさいよ」「おだまり」が
流行語となった。私は「一休語り」で「この橋(端)渡る
べからず、真ん中を歩め」と言っているが、自分の人生は
片寄った端っこばかり歩んできたか。さびれた柳ケ瀬も
哀愁を感じてまたいい。