「鄭」の宰相だった「子産」は、紀元前536年、中国史上初めて
「成文法」を制定した。
その法律の内容は伝わっていないが、「成文法」を作ったことに
関して各国から批判が相次いだそうな。
儒教の観点から言えば、「統治者の徳によって民を治めるべき
なのに、法を持って民を治めようとすれば、民は為政者に親しみを
感じなくなり、生業をまじめにやらなくなってしまうだろう」とか。
老荘的考え方では、「法をもって民を治めようとすれば、民は
その法に従うのではなく、法の網目をかいくぐって 自分の利益に
なるように図るだろう」という批判があった。
また当時は、「法」は為政者だけが知るもので、「法」を下の者が
知るのは、身分秩序を乱す元となると考えられていた。
なるほど「朕が国家(法)なり」で、ケース・バイ・ケース、国王の
恣意的判断で刑が執行されていた時代に、罰則のルールと刑の基準
を設けることは、革新的であったようだ。
時あたかも、昨日のニュースで、千葉法相が死刑執行を命じたことが
問題視されている。刑法があって、しかるべき裁判手続きを踏んで、
「死刑」が確定しても、最終的には法務大臣の裁量に委ねられる。
古代中国春秋時代の2,500年前と変わらぬのォ。なんか変だがや。
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「成文法」を制定した。
その法律の内容は伝わっていないが、「成文法」を作ったことに
関して各国から批判が相次いだそうな。
儒教の観点から言えば、「統治者の徳によって民を治めるべき
なのに、法を持って民を治めようとすれば、民は為政者に親しみを
感じなくなり、生業をまじめにやらなくなってしまうだろう」とか。
老荘的考え方では、「法をもって民を治めようとすれば、民は
その法に従うのではなく、法の網目をかいくぐって 自分の利益に
なるように図るだろう」という批判があった。
また当時は、「法」は為政者だけが知るもので、「法」を下の者が
知るのは、身分秩序を乱す元となると考えられていた。
なるほど「朕が国家(法)なり」で、ケース・バイ・ケース、国王の
恣意的判断で刑が執行されていた時代に、罰則のルールと刑の基準
を設けることは、革新的であったようだ。
時あたかも、昨日のニュースで、千葉法相が死刑執行を命じたことが
問題視されている。刑法があって、しかるべき裁判手続きを踏んで、
「死刑」が確定しても、最終的には法務大臣の裁量に委ねられる。
古代中国春秋時代の2,500年前と変わらぬのォ。なんか変だがや。
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