この時期、最初に吹く曲は『里の秋』。定番だ。
「静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ 御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります」
父親は船乗りかと思っていたら、なんと、南方戦線に
行っていて、引き揚げてくるのを、祈る気持ちで
待っている歌だった。
1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞
激励の午后」の中で、川田正子が歌った。そして、翌年に
始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。
食料難の時代だ。栗が主食でもあったか。
もう一曲。『大きな栗の木の下で』も うける。
「大きな栗の木の下で
あなたとわたし
なかよく遊びましょう
大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で
お話しましょう
みんなで輪になって
大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で
大きな夢を
大きく育てましょう
大きな栗の木の下で
青森県三内丸山の縄文遺跡からは、栗の木が植林され
れて、実は食用に、木は建築資材に使われていたこと
が判っている。栗は縄文の昔からなのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします。
「静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた
明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す
さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ 御無事でと
今夜も 母さんと 祈ります」
父親は船乗りかと思っていたら、なんと、南方戦線に
行っていて、引き揚げてくるのを、祈る気持ちで
待っている歌だった。
1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞
激励の午后」の中で、川田正子が歌った。そして、翌年に
始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。
食料難の時代だ。栗が主食でもあったか。
もう一曲。『大きな栗の木の下で』も うける。
「大きな栗の木の下で
あなたとわたし
なかよく遊びましょう
大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で
お話しましょう
みんなで輪になって
大きな栗の木の下で
大きな栗の木の下で
大きな夢を
大きく育てましょう
大きな栗の木の下で
青森県三内丸山の縄文遺跡からは、栗の木が植林され
れて、実は食用に、木は建築資材に使われていたこと
が判っている。栗は縄文の昔からなのだ。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします。